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人生における選択肢の話①

はじめまして。リンタロウです。

ギリ平成生まれのアラサーでトランスジェンダー。

トランスジェンダーって何?って人は今のご時世的に減ってきてるとは思うのですが、

女で生まれてしまったけど、中身が男という人。(また逆も然り)

ここで、タイトルにも繋がる話なのですが

人生において、選択肢がとても少ないのです。

今でこそ、女子でもズボンの制服がある学校、また通称で通うことなど認められたりなどあるようですが

我々世代は、そんなこと学校にお願いしようと思い付きもしなかった。

女として生きなければならないことはストレスフルだけど、

その中でできるだけ幸福に生きるにはどうすればいいか

とずっと考えて生きてきました。


小学校時代。

赤いランドセルは背負いたくなくて、2年生にして「ランドセルは重い」という言い訳と共に黒ベースに赤ラインの入ったリュックで学校に通った。(皆がランドセルの中リュックを使い、少しかっこいいと思われたりなどした笑)

中高時代。

色々あって女子校に行ったけど、

◯◯女学院みたいな名前が嫌で、そうでないところを必死で探した。

制服にリボンついてたり、セーラー服だったりしないところを探した。

そして見つけた。(バレないことを願う)

ちなみに、大人になってから履歴書でこの校名を見られ、普通に共学だと思われた時はマジで努力が実ったと思った。笑

我ながら、限られた範囲内での幸福を得ることがうまいなあと思う。

そして大学に入学し、いざ就職活動。

その時も

できるだけくびれが出来てないレディースパンツスーツを着て、

肌が弱いからと半分本当で半分嘘な理由をつけて化粧をせず、

昔スポーツを始めてから短くして楽だからそのままなんだ、という言い訳と共に

ほぼそのままの姿で就活をした。

そう

昔から、適当にそれっぽいことを言うのがとてもうまいのだ。

だから、周りも特別怪しまないし、適当にその場をやりすごして生きてきた。

自分の権利を訴えるより、適当に合わせてその時の適所におさまることが楽だと思っていた。

だから

若くから性別適合手術を受けるために貯金をしたり、

親や友達にカミングアウトして認めて欲しいと訴えたり、

そういう人って本当にすごいなって思っている。

彼らには彼らの苦しみがもちろんある。

が、「絶対に元の体を取り戻すんだ!」という強い意思があり、

それに向かって邁進していく姿はとてもたくましい。

そういう人生もあったのかもなあ、とも思う。

でもそれでも、アラサートランスは

“普通”に働くこと

を第一に考えてしまったのでした。

普通って何だよ、って今は思うけど(笑)

とにかく、当時“普通”以外の道を考えられないでいました。

次回へつづく。

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