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昔のことが懐かしくなった時に読むエッセイ

歳を重ねるごとに、人生の浮き沈みを経験した回数も増える。
思い出されるのは、苦しかったこと、辛かったことばかりだ。

決して一人では乗り越えられなかった。
いろいろな人に助けてもらった。
でも歯を食いしばって乗り越えたと言う自負がある。
だからついつい思い出してしまう。

楽しかったことも当然あったよなぁ。
若い頃は必死で働いて、技術屋として上達していく自分が嬉しかった。
妻が恋人だったとき、デートの日を指折り数えて待ち望んだ。
子供が生まれた時、ぼくみたいな半端なやつのところにも、天使が舞い降りて来てくれるのかと思った。

あの頃は苦しくも楽しかった。

もう時間は戻らない。
見た目もしょぼくれてしまった。
あの頃のように身体は動かない。
あの頃のように気力もない。

もうひたすら過去を懐かしんで、生きていくしかないのだろう。
"座して死を待つ"
そんな心境だろうか。

いや、ちょっと待って。
いろいろ後ろ向きになる要素はあるが、今が(も)楽しいと思える生き方はできないだろうか。

若い頃、サッカーをやりたくてもできなかった人は、体力が減って競技はできないが、試合を観戦しにいくことならできる。
推せる選手が現れてくれれば、自分の夢をその選手に託せないだろうか。

若い頃、海外旅行をしたくてもできなかった人は、コロナ渦の影響もあって日本にいながらバーチャルで海外を楽しむサービスもある。
今は韓国や東南アジアなら、比較的安く便利に行くことができる。
楽しければ、手段は何でもいいじゃないか。

若き頃、音楽をやりたくてもできなかった人は、少し老けたとしてもまだまだやれる。
指は動かないし、肺活量も減った。
それでもできる楽器はある。
要はアンサンブルできるかどうかだ。

若い頃と比べれば、やれることはかなり減ったかもしれない。
でもやれることが、ゼロになった訳じゃない。

なんでもいい、やってみないか。
何かに夢中になれる心は、若い頃と変わらないはずだ。

小説を読んでいただきありがとうございます。鈴々堂プロジェクトに興味を持ってサポートいただけましたらうれしいです。夫婦で夢をかなえる一歩にしたいです。よろしくお願いします。