カネゴン考

カネゴンをご存知だろうか。

もはや説明不要であるかもしれない一部の人以外は、この妙に聞き心地のいい文字の並びが示すものが想像できないでいるはずだ。なので簡単に説明しよう。

カネゴンは伝説のSF特撮「ウルトラQ」などに出てくる、いわば怪獣だ。カネゴンの見た目は、一部の人には愛くるしくみえるようだ。私にもそうみえる。脊椎動物の中に突如発生したなめくじのようなフシギさが良い。
私は特撮には詳しくないが、この架空の生き物の、妙な愛くるしさには幼少期から愛着を禁じ得ない。

カネゴンの最大の特徴はカネを食べるところである。その短絡的なネーミングもまたよいのだが、カネゴンは食べたカネの額面の価値を換算してエネルギーに変えることができるのだ。コインでもお札でも食べる。そして日本円換算で1日に3000円強を必要とするそうだ。しかも、カネをためるポケットがある。大量のカネを貯蓄できる。

金属としての価値ではなく、あくまで通貨としての価値を喰らう。その姿を見てどう思われるだろう。私は、人間そっくりではないかと感じた。

私は今日、お店で牛乳とアジを買った。その代償として、そこに書かれている通りのカネを差し出した。私はそれを食べる。調理するのにも電気やガスを使う。その分の代価も支払う。諸々、支払わなくていいぶんは財布や銀行口座に残る。

私が物を食べるという利益を得るために支払った代償は、その金属なり植物繊維なりの価値とイコールではない。それと等しくなるのは、マルクス的に言えばカネの使用価値だ。ツールとしての側面の持つ価値が、私の活力源になっている。しかも、3000円強というのは、われわれが必要な経費に近いのではないか?自分の生活費、公共料金などが1日あたりどのくらいかかるかを試算してみてほしい。
われわれの生きざまは、カネを喰っているようなものだ。まさにカネゴンではないか!


とは言ったものの、やはりカネゴンとわれわれは違うと考えられる。

厳密にいえば、カネゴンの生き方は、カネが導入される以前の人間の生き方に似ている。生きるための糧を、直接得て、自分に取り込むのだから。一度、カネに変えるという手間を挟まないのだから。
ただし、カネゴンが賃労働に従事してカネを得るというのならば、話は違ってくる。そうなると就職先が気になるところだが、その場合はカネゴンがタウンワ●クなどで自ら職を探さなくても某特撮プロダクション事務所が必ずスカウトしてくれるだろう。

私たちは人生の幾らか、いや多くの時間をカネに変換することを強いられている。手元に残ったいくばくかのカネは、あるいはカネを使った後のレシートや領収証は私たちの人生の別のかたちに他ならないし、何らかの形で自分の時間、労力、エネルギー、感情などを消費して得たものをさらに消費した証拠である。

私は幼少の頃から、人間というのはカネを食べているようなものだと思ってきた。しかし、食べるというのは、何もコインをバリバリと食べることではないことが(当然だが)明らかになった。

消費という、やや広い言葉を使うことが許されるなら、われわれとカネゴンは同じようにカネを消費している。消費の仕方、カネの意味は違うかもしれないが、おそらくそれを必要とするという点においては、われわれとカネゴンに本質的な違いはない。




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