Rín Tsuchiya

文化人類学 Cultural Anthropology 草、空、ときどき、ひと …

Rín Tsuchiya

文化人類学 Cultural Anthropology 草、空、ときどき、ひと 個人Webサイト https://rinrintcy.wixsite.com/website バイブルは『方丈記』 果ては天狗か仙人かになりたい。

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  • 新釈 方丈記

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    独りからはじまる文化研究

最近の記事

横文字の摩天楼

13年ぶりに、ある人と再会を果たすべく、久しぶりの阪急電車に乗る。線路沿いの古びた家、高層マンションが目の前を通り過ぎていく。この箱の中ひとつひとつに、それぞれの生活がある。 やたらと綺麗な大阪・梅田に到着した。こんなに整った場所だったっけ、と思い、少し早く着いた私はその迷宮に足を踏み入れる。 どんなに手を伸ばしても届かない天井。 プラスチックの芝生の上で陣取って座る人びと。 転倒防止のガラスを通して見える大阪のビル街。 コンクリートの隙間でのみ生きることを許された草たち

    • 心に糖分を、生にチェルシーを

      チェルシー・ショック(製菓メーカー明治がロングセラーのキャンディ「チェルシー」を販売中止すると世に触れ回った事件のことを私の中でこう呼んでいる)から数ヶ月。 私の手元には、可愛い花柄のチェルシーの包み紙で折られた折り鶴の束がある。特に願いも込めず、10年くらい前の私が折ったものだ。 チェルシーには紙箱に入っているバタースカッチとヨーグルトスカッチの2種類と、大袋のアソートにはこれらに加えコーヒースカッチというのがある。 私はバタースカッチが大好きだ。甘ったるいけれど、くど

      • 無名の私でいい

        今日も今日とて、パソコンと紙に向かう。本を読んで、論文を読んで、書く。それが私の日常だ。朝、昼、晩とほぼ毎日。毎朝、鏡の前に疲れ顔の人間が映っているのがみえる。 読んで、書いて、腰が痛いとぼやいて、また机に向かう。この作業に取り掛かるまで、2年間を費やしてフィールドワークをしてきた。 それが研究という、文化人類学という、私が身を置いている世界だ。 「研究をしています」というと聞こえはいいかもしれないけれど、 研究者というにはまだまだ青二歳だ。文系の博士課程。おまけにアラ

        • ドン・キホーテにはなれない

          世の中というのはじつにいろんなことが起きる場だな、と思う。 何でもないかと思っていたらのちの人生に大きな影響を与える出会いがあったり、逆に重大だと思っていたことが時間が経つにつれて小さい問題だと気がついたり。いろんなことが起こるから、暇をしていることがない。 自分というたったひとりのちっぽけな存在の周りであっても本当にたくさんのことが起きる。その中には、いいこともあれば、悪いこともある。そして、悪いことというのは、一度気がついてしまうとずっと気になってしまう。 「悪い」とい

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          円い家

          円い家。 今日、どんな文脈だったか、友達がその言葉を発した。 それまで完全に忘却の彼方に飛んでいた、ある記憶が蘇った。 それはあまりに遠くにありすぎて、一瞬、私の記憶だったのか、その場で思いついて生成された情景だったのかも分からなかった。 でも、じっくり脳の片隅の一縷の情景を探っていき、たどり着いた。それは紛れもなく私の記憶だった。 ゴツゴツした石造りの壁、しかし中は温もりのある木造りの内装、小さな幼稚園のような絵本と木のおもちゃが並ぶこども用のスペース。低めの天井

          Winter towards myself

          あまりにも寒い。夏の暑さと冬の寒さで35度くらいの差が出るのは流石にこたえる。しかしまた灼熱の夏が来るのかと思うと、それよりはいいなと思う。 今年は湯たんぽくらいしか暖房を使っていない。別にケチりたいわけでもないのだが、節約するに越したことはないし、暖をとるのにエネルギーを使ってしまう自分がなんだか情けなく感じてしまう。適温を求めればキリがないし、その度に少しずつ地球を壊してしまうのかを思うと、少し寒いくらいなら厚着をしてダンスでも踊ったほうがよっぽど気分が楽になる。 し

          Winter towards myself

          秋の夜長は考えるのに適している

          2023年10月21日。 夏は昨日までです!今日から冬に向かって季節が切り替わりました! とでも言わんばかりに、ひんやりした1日だった。この前まであらゆる動作に滴る汗を伴っていたというのに、今日は上着を羽織らないと寒いくらいだ。気持ちばかり、耳の縁のあたりに刺すような冷たさを感じる。 ああ、また季節が巡ってきてくれたんだ、こんなに嬉しいことはない、ありがとう。 受け取る相手もいない礼を律儀にも言いながら、せっかちにやってくる夜の暗さを肌身に感じる。 何をするにも良い季節で

          秋の夜長は考えるのに適している

          我が心、いずこ?

          2023年6月23日 もうすぐ帰国する。最初は永遠に感じられるほど時の経過が遅かったが、過ぎて仕舞えば早いものである。 貴重な20代最後の年を、外国の田舎で、そして調査というなんだかよく分からないもののために費やすとは、我ながらクレイジーである。 クレイジーだが、多分普通の生活を日本でしていては、もしくはただ住んでいただけでは味わえないことをたくさん経験できたはずだ。 学問としての調査はどうなったのか分からないが、できることはやったし、だいぶ心身ガタがきているのでここいら

          我が心、いずこ?

          友愛という言葉の意味を少しわかった話

          友達と3年越しの約束を果たしてきた。ロンドンで会おう、という約束だ。 私も友達も、3年前はお互いに今のように、スペインとイギリスに住んでいた。お互い近くにいるうちに会おう、という話をしていた。 3年前というとピンとくるかもしれない。 その約束はパンデミックという、私にはどうしようもない、あまりに大きすぎる出来事によって脆くも崩れ去った。 そして、今。 偶然にも、私たちはまた、二人ともがイギリスとスペインにいる。 大学院で知り合った彼女とは、頻繁に連絡をするわけでもない

          友愛という言葉の意味を少しわかった話

          私はコウノトリ

          寒く、風も冷たい早朝のこと。太陽の国なんて誰が名付けたのかと問いただしたくなるほどに、冬はしっかり寒い。上着を貫いて、冷気が肌を刺す。 寒くなると、スペインのこの地域にはコウノトリが飛来する。鉄塔や教会の塔に巣を作って、嘴をカタカタと鳴らしてパートナーを呼ぶ。この日も高圧線の鉄塔の上に、コウノトリのシルエットが見えた。 コウノトリは人知れず家庭を育んでいるのだろうと思って歩いていると、村の老人に「¡Jefe!(ボス!)」と呼び止められた。彼とは初対面なので、もちろん上司で

          私はコウノトリ

          disconnected

          最近はいろんな手段で音楽を気軽に楽しめるようになったものだ。 スマホがあれば、各種サブスクリプションサービスから、好きな曲を聴ける。レンタルショップに行ってCDを借りるということも、めっきり減ってしまった。 それでも、私はウォークマンが大好きだ。 ウォークマンを初めて持ったのは13歳の時。お祝いでもらったのが最初だった。当時は音楽を聴くという習慣のなかった私にとって、いつでもどこでも音楽を聴けるツールというのが新鮮で、好きな音楽をパソコン経由でウォークマンに入れて、暇さえ

          生きやす(にく)さ

          スペインに来て、5ヶ月が経過した。昔に滞在した時間を含めると、もう累計1年以上になる。こんなに海外に住んでみることになるとは、5年前には全く思っていなかった。そしてパンデミックが始まった2年前には、またスペインに戻れるとは思っていなかった。 以前も秋から冬、春にかけて滞在した。その季節をなぞるように、ああ、この地の秋は、冬は、クリスマスはこんなものだった、そうそう、これだこれだ、と思いながら過ごしている。あたかもパンデミックなど全くなかったかのように、皆がかつてと変わらぬ暮

          生きやす(にく)さ

          窓一枚分の世界

          日本を離れ、早くも5ヶ月が経過する。日本のような年の瀬の慌ただしさはここにはなく、クリスマスに向けてほどほどにボルテージを高めて、ほどほどに楽しみにしているような気がするのはここが小さな村だからなのかもしれない。それでも遠くの家族が帰ってくるからとクリスマスのディナーのことばかり考えている人も少なくない。 * ここにきて、大きく体調を壊した。胃が固形物を受け付けず、水も飲める気がしないので口を湿らせる程度にチビチビやった。10年ものの梅酒でもここまで慈しんで嘗められること

          窓一枚分の世界

          港と祖母と天草と

          三年ぶりに地元で正月を過ごす。 昨年は帰省を控え、一昨年はスペインで年越しをした。 3年ぶりだと、正月ももはやフィールドワークである。 今年で86歳になるおばあさんは、昔のことをよく覚えている。 きょうは、おばあさんが小さかった頃、テングサをとっていたころのはなしを聞いた。 もう80年近く前のことだろう。おばあさんは小さな港町に生まれたので、海とも親しんで暮らしていた。 おばあさんの母、私の曽祖母はテングサとりの名手だったという。 テングサというのは、要は観点の原料と

          港と祖母と天草と

          消費社会に負けた

          10年間使ってきた包丁を失った。 なぜだか全くわからない。毎日使うのに、ある日気づいたら所定の位置にないのだ。 もしかすると、何かの拍子に、シンクの真横のゴミ箱に落ちてしまったのか、あるいは無意識のうちにどこかに置いてしまったのか。 狭いワンルームでもものが無くなるのだから、不思議なものだ。 以前、家の鍵がなくなったと騒いでいたら、冷凍庫でひえひえにしていた実績のある私なので、もしかしたらどこかにあるかもと思い毎日探している。でもまだ見つからない。 10年使ったが、元は

          消費社会に負けた

          Waltz for Venus

          近頃、というよりここ1年半くらいのことだ。四半世紀以上生きてきて、ようやく体得した技術がある。 それは「休むこと」である。 それまで、特に考えることもなく、休まずに研究をしていた。週末も平日も関係なく、朝、昼、晩と研究をしたり勉強をしたりしていた。もちろんたまには具合が悪いということもあるが、具合が悪くなれば休めばいいだけだった。もしくは年に1、2回、実家に帰ってぐうたらさせてもらえればそれでよかった。 この習慣ができてしまったのは完全に大学受験のせいだ。ドラゴン桜の受験

          Waltz for Venus