Rín Tsuchiya

文化人類学 Cultural Anthropology 草、空、ときどき、ひと …

Rín Tsuchiya

文化人類学 Cultural Anthropology 草、空、ときどき、ひと 個人Webサイト https://rinrintcy.wixsite.com/website バイブルは『方丈記』 果ては天狗か仙人かになりたい。

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    独りからはじまる文化研究

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秋を愛する心を憎む

台風10号が到来し、各地に深々とその爪痕を残して過ぎ去っていったが、ようやくやってきた京都には特に何も残さずに消えていった。むしろ久しぶりの雨に喜ぶ人もいたのではないだろうか。 台風は次の季節を連れてくる 私が小さい頃につくって、小さい頃から心の中で復唱し続けてきた俳句だ。幼い感性で察知した四季の巡りは、大抵の場合当たっている。子どもというのはあらゆるものに感度が鋭いのではと思う。 実際に台風が去ってから、驚くほど秋めいた風が吹くようになった。夜も眠れぬほどの暑さは、も

    • 夕涼みの感覚

      暑い日が続く。 どうやら暑いことには苦手らしく、私の体はいつも悲鳴をあげている。思ったように動けないし、思ったように眠れず、起きれない。 —眠れないのと起きれないのはいつものことだった— * 19時ごろようやく日が沈み、東山山麓にほど近い私のアパートはよく風が通る。食欲も湧かないけれど、放っておくと腐ってしまう作り置きを少し食べて、つい横になってうたた寝をする。 空調の効いた部屋のような快適さではないが、熱くもない風がそよいでいる中で、私はぼんやりと目覚めた。夢を見るま

      • sighs

        なんだかずっと眠たい。もう昼の2時。 やらなきゃいけないことは山のようにあるし、買っただけで放置してる本もたくさんあるし、書かなきゃいけない原稿もたくさんあるからと、今も机の前に座っている。 座ってるだけで、絶望的に集中できない。眠さは全て不眠症と睡眠薬のせいにしたい。ぼーっと過ごすんなら映画でも見てた方がいくらか生産的だ。 * 端末の生体認証が私を認識しない。 私が私でなくなったのか。端末の認識が変わったのか。お前は誰だ、物言わぬ機械が僕を追いやる。 * カメラの

        • 卑屈になれなきゃ生きてられない

          「研究がしんどい〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!」 とでも叫びたくなる。 文献を探すのは根性と体力。読解するのは忍耐。描き始めるための閃き。全部が必要。 どんなに頑張って眠い頭にカフェインとブドウ糖をブチ込んでも、あと一歩を突き進めない。この一歩を踏めたひとから先に、次のステップに進んでいく。いろんな人から「お前まだそんなところにいるのか」と言われているような気がする。ふとした瞬間に、自分には根性も体力も忍耐も閃きも、もしかしてないんじゃないかって気になってしまう。 でも、

        秋を愛する心を憎む

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          あの1年の感触

          スペインから帰ってきてから1年が経った。 久しぶりに、村人からメッセージが来る。ただの文字列に過ぎないはずなのに、その微妙なアルファベットの使い方から、方言が感じられる。連絡不精な私は、ついメッセージの返信を忘れてしまう。時差があるから仕方ない、とか、返すタイミングを見失った、とか言い訳をつける。 この1年もまた、スペインのことを考えてきたはずなのに、いつの間にか私は自分で見聞きしたものではないスペインのことを考えていたような気がする。 要はそれを論文にしたり学会発表にし

          あの1年の感触

          私のなかの不定形

          私は夏が嫌いだ。正確にいうと日本のジメジメした夏が嫌いだ。空気そのものがしっとり重くて、これがチョコレートテリーヌだったら一級品だろうにと冗談が出てくるのならまだいいけど、私は息をするのにも一苦労する。 制動を超えて流れ続ける汗をどうすることもできなくて、ただ生ぬるい水を飲み、塩を舐めて誤魔化す。 ただ容赦無く照りつけるだけの、砂漠のようなスペインの夏の方がまだ心地よかったかもしれない。皆が、諦めて朝と夜しか活動しないのだから。 どうせ眠れないことも起き上がるのも嫌なことを知

          私のなかの不定形

          横文字の摩天楼

          13年ぶりに、ある人と再会を果たすべく、久しぶりの阪急電車に乗る。 線路沿いの古びた家、高層マンションが目の前を通り過ぎていく。 この箱の中ひとつひとつに、それぞれの生活がある。 やたらと綺麗な大阪・梅田に到着した。こんなに整った場所だったっけ、と思い、少し早く着いた私はその迷宮に足を踏み入れる。 どんなに手を伸ばしても届かない天井。 プラスチックの芝生の上で陣取って座る人びと。 転倒防止のガラスを通して見える大阪のビル街。 コンクリートの隙間でのみ生きることを許された草

          横文字の摩天楼

          心に糖分を、生にチェルシーを

          チェルシー・ショック(製菓メーカー明治がロングセラーのキャンディ「チェルシー」を販売中止すると世に触れ回った事件のことを私の中でこう呼んでいる)から数ヶ月。 私の手元には、可愛い花柄のチェルシーの包み紙で折られた折り鶴の束がある。特に願いも込めず、10年くらい前の私が折ったものだ。 チェルシーには紙箱に入っているバタースカッチとヨーグルトスカッチの2種類と、大袋のアソートにはこれらに加えコーヒースカッチというのがある。 私はバタースカッチが大好きだ。甘ったるいけれど、くど

          心に糖分を、生にチェルシーを

          無名の私でいい

          今日も今日とて、パソコンと紙に向かう。本を読んで、論文を読んで、書く。それが私の日常だ。朝、昼、晩とほぼ毎日。毎朝、鏡の前に疲れ顔の人間が映っているのがみえる。 読んで、書いて、腰が痛いとぼやいて、また机に向かう。この作業に取り掛かるまで、2年間を費やしてフィールドワークをしてきた。 それが研究という、文化人類学という、私が身を置いている世界だ。 「研究をしています」というと聞こえはいいかもしれないけれど、 研究者というにはまだまだ青二歳だ。文系の博士課程。おまけにアラ

          無名の私でいい

          ドン・キホーテにはなれない

          世の中というのはじつにいろんなことが起きる場だな、と思う。 何でもないかと思っていたらのちの人生に大きな影響を与える出会いがあったり、逆に重大だと思っていたことが時間が経つにつれて小さい問題だと気がついたり。いろんなことが起こるから、暇をしていることがない。 自分というたったひとりのちっぽけな存在の周りであっても本当にたくさんのことが起きる。その中には、いいこともあれば、悪いこともある。そして、悪いことというのは、一度気がついてしまうとずっと気になってしまう。 「悪い」とい

          ドン・キホーテにはなれない

          円い家

          円い家。 今日、どんな文脈だったか、友達がその言葉を発した。 それまで完全に忘却の彼方に飛んでいた、ある記憶が蘇った。 それはあまりに遠くにありすぎて、一瞬、私の記憶だったのか、その場で思いついて生成された情景だったのかも分からなかった。 でも、じっくり脳の片隅の一縷の情景を探っていき、たどり着いた。それは紛れもなく私の記憶だった。 ゴツゴツした石造りの壁、しかし中は温もりのある木造りの内装、小さな幼稚園のような絵本と木のおもちゃが並ぶこども用のスペース。低めの天井

          Winter towards myself

          あまりにも寒い。夏の暑さと冬の寒さで35度くらいの差が出るのは流石にこたえる。しかしまた灼熱の夏が来るのかと思うと、それよりはいいなと思う。 今年は湯たんぽくらいしか暖房を使っていない。別にケチりたいわけでもないのだが、節約するに越したことはないし、暖をとるのにエネルギーを使ってしまう自分がなんだか情けなく感じてしまう。適温を求めればキリがないし、その度に少しずつ地球を壊してしまうのかを思うと、少し寒いくらいなら厚着をしてダンスでも踊ったほうがよっぽど気分が楽になる。 し

          Winter towards myself

          秋の夜長は考えるのに適している

          2023年10月21日。 夏は昨日までです!今日から冬に向かって季節が切り替わりました! とでも言わんばかりに、ひんやりした1日だった。この前まであらゆる動作に滴る汗を伴っていたというのに、今日は上着を羽織らないと寒いくらいだ。気持ちばかり、耳の縁のあたりに刺すような冷たさを感じる。 ああ、また季節が巡ってきてくれたんだ、こんなに嬉しいことはない、ありがとう。 受け取る相手もいない礼を律儀にも言いながら、せっかちにやってくる夜の暗さを肌身に感じる。 何をするにも良い季節で

          秋の夜長は考えるのに適している

          我が心、いずこ?

          2023年6月23日 もうすぐ帰国する。最初は永遠に感じられるほど時の経過が遅かったが、過ぎて仕舞えば早いものである。 貴重な20代最後の年を、外国の田舎で、そして調査というなんだかよく分からないもののために費やすとは、我ながらクレイジーである。 クレイジーだが、多分普通の生活を日本でしていては、もしくはただ住んでいただけでは味わえないことをたくさん経験できたはずだ。 学問としての調査はどうなったのか分からないが、できることはやったし、だいぶ心身ガタがきているのでここいら

          我が心、いずこ?

          友愛という言葉の意味を少しわかった話

          友達と3年越しの約束を果たしてきた。ロンドンで会おう、という約束だ。 私も友達も、3年前はお互いに今のように、スペインとイギリスに住んでいた。お互い近くにいるうちに会おう、という話をしていた。 3年前というとピンとくるかもしれない。 その約束はパンデミックという、私にはどうしようもない、あまりに大きすぎる出来事によって脆くも崩れ去った。 そして、今。 偶然にも、私たちはまた、二人ともがイギリスとスペインにいる。 大学院で知り合った彼女とは、頻繁に連絡をするわけでもない

          友愛という言葉の意味を少しわかった話

          私はコウノトリ

          寒く、風も冷たい早朝のこと。太陽の国なんて誰が名付けたのかと問いただしたくなるほどに、冬はしっかり寒い。上着を貫いて、冷気が肌を刺す。 寒くなると、スペインのこの地域にはコウノトリが飛来する。鉄塔や教会の塔に巣を作って、嘴をカタカタと鳴らしてパートナーを呼ぶ。この日も高圧線の鉄塔の上に、コウノトリのシルエットが見えた。 コウノトリは人知れず家庭を育んでいるのだろうと思って歩いていると、村の老人に「¡Jefe!(ボス!)」と呼び止められた。彼とは初対面なので、もちろん上司で

          私はコウノトリ