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【短編】意味無しティー

「ミルクティーって美味しいなあ」
 その一言に意味はない。午前四時、トイレから帰った私は部屋の中で立ったまま一言、そう呟いた。周囲に人がいれば、その一言は呟けない。“急に何を言い出したんだ、この他人は”としか思われない。生きていくというのは、そういうことだ。何事も常に周りに人がいる。周りの人達と関わっていかなければならない。生きていかなければならない。
 それは、周囲に人の目があるからだ。自分は常に誰かの目に入る……そう考えながら気を使いながら生きていかないと、変な目で見られるだけ。
 何故、周囲の目を気にしなくてはいけないのだろうか? 羞恥心を抱くから? ならば羞恥心を抱けなかったら、人前でいきなり訳の分からない一言を呟けるのだろうか? 周囲に人がいるにも関わらず、急に皆が歩いている中、一人だけスキップをして歩いてもいいのだろうか。人前でスキップをしても、“こいつ能天気だな”としか思われないだけだが。
 とにもかくにも、人間というのは、常に周囲の目がある、周囲の目を気にしなくてはならない。何故、気にしなくてはいけないのか? 上手に生きるためだ。上手に生きるとは何だろうか? 周りの目を気にすることか? たまに訳が分からなくなる。
 だから、とりあえず周囲に人の目がない自室で呟いてみた。「ミルクティーは美味しいなあ」ミルクティーは、確かに数十秒前に飲んだし美味しかった。だが、わざわざ口に出す程ではない。言わなくてもいいし、言っても良かった。別に、周囲に人の目がないから、呟いても良かった。だから呟いた。
 人の目がないから、呟ける。思いきり呟ける。
「ミルクティーが美味しいなぁ、ミルクティーが美味しいなァ〜! ミ、ルクとぅい〜が! 美味しいなぁ! ミルクティーが美味しいなぁ、」
 それを、いろんな言い方で呟いたからといって、特別スッキリする訳でもなく、何かが満たされるわけでもなく、楽しいわけでも。今この瞬間、どんなことよりも、意味がない。特に尿意も便意もないのにトイレに行くより、全く意味がない。
 強いて言うなら、自分は今平和で幸せな奴なんだと思う。

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