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エッセイ「感覚」6.眺める

 つい最近、水族館へ出かけた。わたしにとって水族館は癒やしの存在であり、日々のストレスを発散し、リフレッシュするのにもってこいの場所なのだ。それは、仕事終わりに夜間営業をしている水族館へ、一人で足を運んでしまうほど。いつか全国の水族館を見て回りたい。そして近場の水族館は年パスも買いたい。

 私の水族館の一番古い記憶は、北海道にある「おたる水族館」でのイルカショー。と言っても、ショーそのものの記憶はなく、そこで食べていた小さな黄色いガムのようなお菓子を床に落とし母親に叱られた、という記憶。特段、はじめての水族館の記憶が、美しく輝くようなものではない。続いての記憶といえば、従兄弟の結婚式のために訪れたハワイで行った水族館。ヒトデやナマコに触ったことだけ覚えている。もちろんこれもうろ覚え。
 一体どのタイミングで、これほどまでに水族館に魅了されるようになったのか、私自身さっぱりわからない。どこまで記憶を遡っても、これだけは忘れられない、というような、深く脳裏に刻まれたものは、ない。

 ところで水族館に行ったら、必ずやってしまうことがひとつだけある。それは「クラゲの動画を撮る」ということ。高校生になってスマホを手に入れてからというもの、誰かとメッセージを送り合うことやSNSを見ることよりも、何よりも写真や動画を撮ることに精を出してきた。中でも、自然の動画はどうしても神秘的に撮りたいという気持ちに駆られてしまう。おそらくそれは、海外の大自然を移した番組なんかをよく見ていたからだろう。あれを、私の、私だけのスマホの中に閉じ込めたいと思ってしまうのだ。
 そんなわけで水族館に着いたら、まずはクラゲを探し、じっくりと観察した後、スマホのカメラを起動する。当然、フラッシュはNG。だけれど、そんな光なんかなくとも、彼らの体から発せられる光だけで十分に神々しいオーラを捉えられる。動画の時間はせいぜい1分から1分半。これを納得いくまで何本も撮る。これをするためにも、平日の仕事終わりにのんびり訪ねていくのが、誰の邪魔にもなることなく、ちょうど良い。

 撮りためた動画をどうするのかと聞かれれば、答えはふたつ。ひとつ目は大勢の人がそうするであろうように、インスタのストーリーなんかに投稿する。どれほどSNSに触れる時間が短いと言っても、やはり承認欲求はある、人間だもの。ふたつ目はただひたすらに眺める。それだけ。仕事に勉強に疲れたときに見るのも悪くないが、一番のおすすめは、夜寝る前に部屋の電気を消した状態で見ること。スマホの画面を見ているだけのはずなのに、いつしかそこは自分だけの小さな水族館になってゆく。ときどき、水族館で流れていそうなゆったりとしたBGMなんかも一緒にかけてあげると、至高のときを過ごせる。

 水族館との出会いは、お菓子を落としたことにはじまり、それほど大きな衝撃はないのだけれど、そもそも水族館に衝撃なんて必要ないのかもしれない。激しい記憶もなにもないからこそ、いつ訪ねていっても、クラゲがそうであるように、ただ漂うように身を委ねられるのかもしれない。


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