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#哲学

他人の本心とは、自分がどのようにその人を信じているかってこと

「あの人の本心がわからないわ」 なんて言う人がいるが、私は誰の本心も知ったことがない。 本心とは、そもそも誰の真実なのか。 読み取られる側の真実なのか、それとも読み取る側の真実なのか。 人はある程度、自分に嘘をついて生きる。 もし、「私は自分に嘘をつかない」 と言う人がいたら、嘘をつかないという言葉が嘘だろうと思う。 みんなから「優しいね」「良い人ね」と思われている人は、上手く生きている分、どこかに嘘がある。 みんなに同じように接したら、傷つく人ができてしまうこと

みんながみんな真実を持っている

嘘と本当は紙一重です。 どうしても、どこかの段階に矛盾が生じてしまう。 自分と他人の間。 自分と自分の間。 他人と他人の間。 みながそれぞれ真実を持っているのだから、 仕方のないことなのかもしれない。 正直に生きようと思うほど 矛盾に気がついて、 嘘に悩まされたりする。 だけど、 周りは私の真実なんかわからない。 自分の真実を信じているだけなのだから。 自分を信じることが自信。 自分が大切だと思うことを信じて生きたいです。

28 時間 × 6 日の生活を想像する・・・

24 × 7 = 168 つまり、一週間は 168 時間でできている。 大学の時、ピアノの先生が、 「 ぼくは同じ 168 時間なら、28 時間 × 6日 で暮らしたい」 と言っていた。 先生曰く、1 日 24 時間だと短いし、 人間の体のサイクル的に、28 時間の方が良いらしい。 うーん。 確かに、一日の時間が多くなるというのは、 夢のような話。 それに、太陽と隔絶された空間で、 時計を全く見ずに生活していると、 25,26 時間サイクルで生活するよ

『自分の感受性くらい』

自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ 私の好きな詩人、茨木のり子の『自分の感受性くらい』の 最後の一節。 ものすごく強い言葉だ。 ドカンと心に刺さる。 衝撃が走る。 何だろう。 「そうだよね」なんて 簡単な共感文句では済まされない重み。 茨木のり子の言葉は、 グサッと刺す鋭さがあるのだが、 そこに強制がない。 この詩を読んでいると、  自分の心の弱さにはっとする。 そして大切なことに気づかされる。 向かい合うべきは他人ではなく 自分な

心地よさが共感を生む

私が「共感なんてあると思わない」と言う時、 『共感とは何か』について自分の中で極限まで考えた結果として、 心底そう思ってることもあるし、 共感している自分がいるということを知られるのが恥ずかしいから、 あえてそんなことを言っている時がある。 「そんな寂しいこと言わないで」という人がいるが、 私からすれば、 この世のほとんどが共感ごっこだ。 共感したいなぁと思って共感している。 私はこの「ごっこ」まで共感と表すべきなのか否か分からない。 私の中で感じているこ

生まれ変わるなら雑草か?

そもそもだけど、 人間の真髄なる部分を探し続けていたら、 世の中のほとんどが どうでもいいことに思えてくる。 そんな中に自分というものが人間として存在することを 時々後ろめたく思ったり、 摩訶不思議にさえ思えるんだけど、 この歳まで人間として生きてきてしまっているから、 人間であることは確か。 ただ、自分はとてもひねくれているから、 人間の作り出した街、文化、時代、言葉、、、 あらゆるものから逃亡したくなることがある。 もちろんそんなことはできやしない

フィクションを楽しみ、フィクションを生きる!

時々、この世の中の全てが『作りもの=フィクション』だと思うことがある。 もともと自然への憧れを強く抱いて生きていて、 自然こそ美しいと思っていた。 音楽の美しさも 自然であってほしいと勝手に願っていたけど、 その音楽だって、 私が奏でる楽音だって、 人間が生み出したもの。 自然な音楽って何?ってことになった。 ただ声は人間の体の一部で、 進化したと言えど、人間の創作物ではないから、 声を奏でるということは、感覚的にとても面白い。 世の中の思想や自分の思

他者は「わたし」を投影する

私の中に、自分っていっぱいあるなぁって思うんだけど、 「自分」の数って、 私とつながりのある人の数だけあるのかもしれない。 みんながみんな、その人の思うままに私のことを見ているから、 それぞれの人の中に、私が存在しているということ。 その一人一人と話したり、目があったり、心が通ったりする時、 向こう側に映っている自分の存在を感じて、新しい自分を見る。 『自分を知るには他人を知ること』っていうから、 他人との違いを知ることによって 自分の考えや価値観を認識して

未来の先にも音楽はある!?

もしも、この先、 すごく科学が発展して、 人間の寿命がなくなったら 何が変わるだろう? まず、哲学は変わる。 “幸せ”なんてのも変わる。 時間の概念も、学ばなくてはならないことも・・・ 一度しかない人生だからと思って 目標を立てたり、夢に挑戦したりすることも、 なくなるのかな? 今日も明日も未来も、そんなに差はなくなるかもしれない。 今生きていて、あって然るべきものが 次々に要らなくなる。 では、何は残るのか? 今生きていて、絶対になくてはならない

その人を信じているから心に響く言葉が生まれる

思いを言葉にするなんて、出来っこないって思うんだけど もしかすると、複雑な気持ちの揺れを単純に一言に表せるのが言葉のいいところなのかもしれない。 ある人が発した言葉の中に、隠された真相はあるかもしれないし、ないかもしれない。 ただ単に発しただけで、何も意図してない中に、受け手が解釈を加えることもあるし、 すごく悩んで選んだ言葉なのに、その過程を受け取る側は全く気づかないこともある。 つまり、含み、ニュアンスは確実ではなくて、 そこを探っても、探らなくてそのまま受け