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おもう

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考えていることや思いをまとめています。
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#自分と向き合う

自分を縛りつけていたものは、自分。

私は過去、火星人でした。 火星人になりたくてなりました。 なぜなら、 地球に存在する人間として、 自分は相応しくないと思ったからです。 周りの人が笑うことの何が面白いのかがわからない。 「楽しい」と口にするその感情の源がわからない。 周りにいる人たちが、皆同じ目的で同じ方向を見ている中に自分もいる時、 キューっと自分がどんどん小さくなって、何も考えられなくなってしまう。 また、人間の顔についている目、鼻、口といったものが、 ただの生命存続のための器官だと思った瞬

自分で自分の答えを作り続ける

悩んでいる人を目の前にすると、 「自分で抱え込まないで」 「自分のせいにしないで」 なんて言う私だが、 自分のことを認めて、自分のことを整理していくと、自分の思考は誰のせいのものでもなく、ただ、自分のせいなのだ。 悩んでいるのだって、それを選択してるのは自分だ。 親がこうだから、こんなふうに育ったからと、人や環境のせいにしてても、何も変わらない。 「もともと私はこういう人間なんだから仕方ない」って、遺伝的素質の話を始める人もいるが、もともとの自分がわかるってどういうこ

そのままの自分でいること

茨木のり子の詩が好きだ。 図書館でふと手にした「ポケット詩集」。 その一篇に『 汲む ー Y. Y に ー 』があった。 (上記 詩より 一部抜粋) 初々しさが大切なの 人に対しても世の中に対しても 人を人と思わなくなった時 堕落がはじまるのね (中略) 大人になってもどぎまぎしたっていいんだな 変に恰好つけなくていい。 不恰好でも、 その人らしさがあれば 伝わるものがある。 大切なことを守り続ける。 それで十分だということ。 『 いつまでも大

他人の本心とは、自分がどのようにその人を信じているかってこと

「あの人の本心がわからないわ」 なんて言う人がいるが、私は誰の本心も知ったことがない。 本心とは、そもそも誰の真実なのか。 読み取られる側の真実なのか、それとも読み取る側の真実なのか。 人はある程度、自分に嘘をついて生きる。 もし、「私は自分に嘘をつかない」 と言う人がいたら、嘘をつかないという言葉が嘘だろうと思う。 みんなから「優しいね」「良い人ね」と思われている人は、上手く生きている分、どこかに嘘がある。 みんなに同じように接したら、傷つく人ができてしまうこと

私が大切にしたいことの羅列

自分らしく生きること。 そのためにできることを日々こつこつと続けていくこと。 丁寧に生きること。 自分が好きであること。 どんな自分も前向きに認めること。 自分の力を信じること。 果てはないが、その都度楽しむこと。 できると信じること。 何でもやってみること。 どんなこともプラスに変換すること。 自分から迷宮入りしないこと。 幸せを感じ続けること。 全ては自分次第だということ。 自分の中の自分を信じ、 常に変わっていく自分に向き合って、 他人に優

みんながみんな真実を持っている

嘘と本当は紙一重です。 どうしても、どこかの段階に矛盾が生じてしまう。 自分と他人の間。 自分と自分の間。 他人と他人の間。 みながそれぞれ真実を持っているのだから、 仕方のないことなのかもしれない。 正直に生きようと思うほど 矛盾に気がついて、 嘘に悩まされたりする。 だけど、 周りは私の真実なんかわからない。 自分の真実を信じているだけなのだから。 自分を信じることが自信。 自分が大切だと思うことを信じて生きたいです。

心地よさが共感を生む

私が「共感なんてあると思わない」と言う時、 『共感とは何か』について自分の中で極限まで考えた結果として、 心底そう思ってることもあるし、 共感している自分がいるということを知られるのが恥ずかしいから、 あえてそんなことを言っている時がある。 「そんな寂しいこと言わないで」という人がいるが、 私からすれば、 この世のほとんどが共感ごっこだ。 共感したいなぁと思って共感している。 私はこの「ごっこ」まで共感と表すべきなのか否か分からない。 私の中で感じているこ