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泣けば?

社会人として働いていたあるとき、私は怒られていた。
「ねぇなんで泣かないの?」
好奇心ではなく心底嫌気がするというように、不快な顔をして先輩は言った。
「私、OJTのとき、毎日泣いてたよ? 一生懸命教えてくれてる先輩に悪くてずっと泣きながら謝ってたの。おかしいんじゃない?」
心が奥からえぐられるような痛みを感じた。ミスしたこと自体ではなく、人間性を徹底的に否定されているように思った。
「すみません。……。本当にすみません。」
殴られたように揺れる頭の中には色々なものが浮かんだが、言えたのはひとつだけだった。

私は要領がよくなく、教えられた通りにとっさに行動できず、いつも慣れた先輩の後手に回ってもたついていた。必要な確認を忘れるミスも多く、その度に落ち込んでまたミスをした。
「もっと責任感じて! もっとがんばって実感して? なんで平気なの?」
これを言ったらどういう言葉が返されるか分かっていたが、それでも口に出さないのもおかしい気がして私は言った。
「責任はちゃんと感じています。仕事が出来ていないこともミスをしたことも申し訳ないと思ってます。もう二度とご迷惑かけないようにがんばります。」
「じゃあなんで泣かないわけ? もー、ありえないんだけど。」

自分が能面のような無表情になっている自覚はあったので、がんばってそれらしく見える動きを探った。それでもふてぶてしい落ち着いた見た目を保っているらしいことは先輩の見る目で分かった。自分の感情のスイッチがオフになっているのを感じる。これでは涙は出ない。
心にあるのは「死にたい。消えてなくなりたい。」という願いだけで、あとはもうグレーのフィルターがかかったように感じてよく分からなかった。

ここで彼女が問題にしているのは新人が仕事ができないことよりも、泣きながら頑張りつつ、見るも明らかに落ち込んでいないことのようだった。私は感情がストレートに外に出せない、それは分かっていた。が、ほぼ女性が占めるこの職場でそのことがこんなに浮くとは思っていなかった。同期の女性たちからも似たように「落ち着きすぎ・クールな人」という目で見られていた。責任と自己嫌悪で潰れそうなのだけど泣けない、ということに理解は得られなかった。


私がはっきりと泣くのをやめようと意識したのは幼稚園の頃だったと記憶している。何かの仕組みが動くままに泣いていたら、それ自体がうるさいと相手をイラだたせ、さらに悪い状況がやってくることを知った。
「泣いたら怒られる。」
「泣くのは悪いことだ。」
頭に入れろと必死になった。
最初は涙は出ても必死に口を結んで手で押さえて声が出ないようにしていた。そのうち涙も出てこないようにする術を覚えた。
暗い小屋の中で私は自分が ”何か” を出来るようになったと思った。


あの日帰ってから、彼女は泣くことで真剣さやがんばりを証明し、認められ、おそらくは誰かに慰められてきたのだろうと想像した。可愛らしい女性が泣いていて、背中をなでられたり、抱きしめて頭をなでたりされながら言葉をかけられている光景を思い浮かべた。

自動的にとしか言えないはこびで、あの小屋の暗さと湿った埃の臭いと、そこで ”出来た” と思った記憶の一コマが流れた。

内側からぐちゃぐちゃにかき混ぜられるような気持ち悪さを感じ、膝をつき、体をくの字に曲げて頭を床につけた。涙は出てこなかった。強い嫉妬を感じた。しばらく目の前の影を凝視し続けながら、胸や指先からざらざらと血が抜けていくような感覚が消えるのを待った。
それは、とてもつらかった、ということなんだと今は分かる。


先輩はただ怒っていただけで、私の読み取った悪意はなかったのだろう。
人見知りな性質のせいで同期とはまだ理解し合うほど親しくなかった。
ただ、いまだにふらっと思う。
どうすれば良かったのだろう、あのとき、そしてあのとき。どうすれば誰にも不快に思われず、不気味がられず、私を受け入れてもらえたんだろう。
本当にどうすればよかったんだろう。

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