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小説:猛暑とザリガニと彼女(スピンオフ【2949文字】

「草木さん、今日のビアガーデン19時でいいんですよね?」

派遣社員の涼子ちゃんが隣のデスクの草木にお茶を運んで来た。草木は同期で、優しいイケメンで、仕事もできるし、最近は涼子ちゃんとも仲良くしていて、うらやましい限りの男だ。

「小室さんも来ますよね?」

涼子ちゃんは僕にも声をかける。

涼子ちゃんは草木と楽しく飲みたいのだろうけれど、今日のビアガーデンは複数人で集まるらしく、僕も誘われている。

「うん、僕も行くよ」

大して酒も強くないし、イケメンでもないし、仲良くしている女の子もいない僕だけれど、草木のことは好きだし、涼子ちゃんもいい子だし、同僚と飲みに行くのは楽しい。

仕事後の、熱帯夜のビアガーデンはきっと気持ちが良いだろう。

「ねえ、涼子ちゃん、あの……亜由美さんは来るの?」

「え、亜由美ですか? 誘いましたけど、どうかな。ワチャワチャした飲み会苦手だから、わかんないです。無理強いはしたくないし」

「そ、そうだよね」

「なんでですか?」

「いや、その、亜由美さんってあんまり飲み会とか来ないからさ、ゆっくり話したことないな、と思って」

しどろもどろになってしまう僕を、涼子ちゃんと草木が同じようなニヤニヤした顔で見てくる。

「なんだよ」

「ほうほう、そういうことか」

草木が、僕と、少し離れたデスクにいる亜由美さんを交互に見ながら頷いている。つられて僕も視線をやると、亜由美さんの真面目な横顔が見えた。



亜由美さんは涼子ちゃんと同じ派遣社員の女性で、涼子ちゃんと違って社員にお茶を運んできたり、仕事中にお喋りをしたり、手を抜いているところを見たことがない。データ入力の仕事をしているのだが、決まっている休憩時間以外に彼女が休んでいるところを見たことがない。

長い黒い髪を後ろで束ねて、画面を見つめ、ひたすら数字を入力する横顔。きりっとした目元。薄い化粧。きれいな指。画面しか見えてないのではないかと思うほど集中している。書類を渡しに行っても、「はい」とはっきりした返事をするだけで、おおよそ愛想もない。隙がないのだ。

僕がそんな彼女に惹かれているのは、事実である。何が彼女をあそこまで集中させるのか。なぜ愛想がないのか。完璧に見える彼女の隙を探してみたい。そんな変な衝動に駆られるのだ。


19時を過ぎても熱気のこもるオフィス街、ビアガーデンは混んでいた。日中の憂さ晴らしなのか、皆が陽気にビールを飲んでいる。乾杯の1杯だけ飲んだビールをウーロン茶にかえて、僕は蒸し暑い夜空を見上げた。案の定、来なかった亜由美さんは、もう家に帰ったのだろうか。



数週間ほど経って、もうそろそろ夏も終わるはずなのに、いつまでもしつこく、へばりつくように残暑が厳しい。こうも暑いとやる気も出ないな、と思いながらいつもの会社、いつものデスク、いつもの仕事。こなしていれば時間は経つ。たまにはやる気のない日だってあるさ。そう言い聞かせ、とりあえず目の前の仕事を片付けていく。

亜由美さんを見ると、今日も変わらず真面目に画面を見つめて仕事をしている。でも、最近少しだけ物腰が柔らかい。仕事は変わらず丁寧だし、隙のない感じは変わらない。でも、何か少し、涼子ちゃんと話しているときなど、にこやかなことが多い気がする。何かあったのだろうか。

まさか、男か。どうなんだろう。もともと彼氏がいたっておかしくない。だから飲み会もあまり参加しないのかもしれない。今度涼子ちゃんに聞いてみよう、と思いつつ、「自分で聞いてくださいよ、個人情報ですよ」と言われるのが目に見えているので、ただ勇気のない自分を情けなく思った。



そんなやる気のない日の午後、昼休みを終えてすぐ、涼子ちゃんが僕のデスクにサササっと忍者を思わせるすり足で静かに駆けてきた。

「小室さん、小室さん」

小声で話しかけてくる。

「なに?」

「週末のバーベキュー、亜由美も来ますって」

「え!」

僕は仕事中なのにずいぶんと大きな声が出てしまった。

しー!と涼子ちゃんに注意される。慌てて僕は口に手をやり、声を落とす。

「本当?」

「はい。誘ってみたら、たまには行ってみようかなって」

「おお……ありがとう、涼子ちゃん」

「当日、ちゃんと喋れるかは、小室さん次第ですからね!」

「あぁ、わかってるよ」

「あと、せっかく亜由美が珍しく参加するんですから、亜由美の嫌がるような事したら、私が許しませんからね」

涼子ちゃんは冗談めかせて、でも存外本気のこもった声で言う。

「わかってるよ」

俄然やる気が出てきた。今日の仕事はさっさと終わらせて、バーベキューで活躍できる男に見えるように、にわかだが勉強をしておこう。キャンプで火を起こせる男は格好いいとか、アウトドアで手際よく料理ができる男は格好いいとか、よく聞くではないか。そんな上っ面で亜由美さんを口説けるなんて思ってはいないが、印象が良いに越したことはない。

何より、一瞬でも笑わせられたら一番嬉しい。僕は彼女の屈強そうな城壁を崩してみたい。



バーベキュー当日、良く晴れて、残暑は厳しいが、どこか少し風は秋めいていて、とても気持ちが良い。

同僚たちが20人ほど集まった河原のバーベキュー場に、亜由美さんもいる。髪はいつものように後ろで束ねて、カーキ色のTシャツにデニムのパンツ。動きやすそうでカジュアルな服装は似合っていたし、とても好感が持てた。バーベキューだと知っていながら白いワンピースとヒールの高い靴などで来る女性もいるが、僕はどうにも苦手だ。お洒落はわかるがTPOがあるだろ、と思ってしまう。
今日の亜由美さんは100点満点。同じくカジュアルな服装の涼子ちゃんと何か話して微笑んでいる。やっぱり亜由美さんは最近少し明るくなった。


にわか勉強の僕は残念ながら活躍の場は全くなく、というのも、バーベキュー場は何もかもが揃っていて、素人でも簡単に手ぶらで楽しめるような施設なのだ。それでも草木はやはり手際よく肉や野菜を焼いて皆に行きわたるよう配慮があって、こういうマメな男はモテるんだよな、と思いつつ、僕は手持無沙汰でウーロン茶を飲みながら川を眺めたりしていた。


すると涼子ちゃんがやってきて、僕の脇腹を肘でつんつんしてくる。何? と振り返ると、「ん、ん」と言葉にならない音を発しながら、目で合図してきた。涼子ちゃんの視線の先には、僕と同じように手持無沙汰で川を眺めている亜由美さんがいた。僕は頷くことで涼子ちゃんに感謝を伝え、歩き出そうとすると、「ちょっと」と涼子ちゃんに腕を掴まれて止められた。「え?」振り向くと、半分くらい入っているウーロン茶の2ℓペットボトルを押し付けられた。冷たくて気持ち良い。

「よく見て、コップ、空でしょ」

言われて目をこらすと、確かに亜由美さんの持っている透明のプラスチックコップは空だ。涼子ちゃんの気遣いは本当に素敵だ。草木ともお似合いだ。

僕は亜由美さんに似合う男になれるのだろうか。空のコップを手に、どこか遠くを眺める亜由美さんの視線の先に何があるのか知りたい。郷愁に置いて行かれているような亜由美さんの横顔。本当にきれいだ。

僕は今度こそ「ありがとう」と涼子ちゃんに声をかけ、足場の悪い河原の石を踏みしめ、亜由美さんに近づいた。

川は少し傾き始めた早秋の光を反射し、美しく輝いていた。







《おわり》





先日投稿した「猛暑とザリガニ」というお話のスピンオフになります。

これ↓↓↓


完結させてから、急遽思い立ってスピンオフを書く、ということは普段はないのですが、珍しくハッピーエンドを予感させる結末だったので、ハッピーエンドの予感をもう微量足してみようと思い、スピンオフを書くに至りました。コメント欄で「スピンオフがあったら読む」と言ってくださった方もいらしたので、珍しいことをしてみましたが、たまには楽しいですね。

ハッピーエンドでもバッドエンドでもない、というお話が好みなのですが、亜由美に幸せになってもらいたい気持ちが勝ってしまいましたね。小室さんが新しい恋の相手になるかどうかは、私にもわかりませんが笑。

お読みいただき、ありがとうございました。

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