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〆誰かの1番になりたかった

「彼氏と予定出来ちゃったから、今日遊ぶ約束無しでもいい?」

大体5回はそう言われて友人から、遊ぶ予定をキャンセルされたことがある。
大丈夫だよ、楽しんできなね。と言いつつ、
私と先に約束したでしょうが、と思った。
友人の中での優先順位は、彼氏が先だった。
彼氏が最近返信遅い、構ってくれない
浮気してるかも、他に好きな人がいる、sexがどう、とか。
私は彼氏がいたことがないのに
よくそう言う相談を受ける。
相談する相手間違えてるんじゃないか、と思うけど、
私は、真剣に客観的にアドバイスをして

「まあ、彼氏いたことないんだけどね」

って必ず最後に言う。
恋人の悩みを抱えている本人たちには悪いけど、
その悩みたちが、凄く羨ましく感じた。
全部、経験があるから悩めることで
うまくいけば、幸せになれる。
その経験さえも、私には無いから。

私は4歳の頃に両親が離婚して、
父親に引き取られた。
祖母が一生懸命私の世話をしてくれたが、
母親が居ないというのは本当に大変だった。
幼稚園に持っていく祖母が作るお弁当は
いつも焼き魚とか、ゆで卵ばかりで
お弁当箱に敷くカップも
可愛いやつじゃなくて銀紙のやつで
おにぎりは大きすぎた。
私は、みんなが食べてるような
アンパンマンの形をしたポテトを詰めてほしかった。

小学の授業参観はいつも父が来て、
カレー作りをした時も、
みんな母が来ていたのに私は父だった。
作ったカレーを食べるとき、
大きなテーブルが2つあって
1つのテーブルに私と父が座ったら
誰も一緒に座ってくれなくて、もう片方のテーブルに
ママ友の集まりが、ぎゅうぎゅうになって座って。
気を利かせた先生が私たちと座ってくれて
3人でカレーを食べた。

小学高学年になり、胸が膨らんできた。
「凛花ちゃん、走るとき胸揺れてるよ」
仲の良い友達に聞いて、
自転車を漕いでスーパーセンターに
ブラジャーを1人で買いに行った。

母親って居ないとしんどいんだなと思った。

父のことを嫌いではなかったし
むしろ好きだった。
姉と3人で釣りに行ったり、
トンボを捕まえにいったり、
いつもお金のかからないことばかりだったけど
それがすごく楽しくて好きだった。

私が小学5年生になったあたりから父が家に帰ってこなくなった。
いつも祖母と姉とご飯を食べた。
父の中での優先順位は
私ではなく、新しいお母さんとなる人が先だった。
新しいお母さんが来てから、
2人は私の目の前でイチャイチャした。
私の好きだった父は、
新しいお母さんの恋人だった。

気持ち悪いと思った。

実の母から連絡があった。
再婚したという知らせだった。
新しい旦那さんに会って欲しいとのことだった。
会ってみたら、すごくいい人で母は幸せそうだった。良かった、と言ったが
なぜか寂しくて、悲しかった。

「ちょっと、飲み物買いに行ってくる」

そう言って、その場を抜け出して
思いっきり泣いた。
その後は、何事も無かったようにうまく笑えた。

母の日が来ると私は憂鬱だった。
実の母にプレゼントが渡せないのに
新しいお母さんにプレゼントを渡すことが
どうしても嫌だった。
祖母は、何か渡しなさいと言ったが
私は準備ができなかった。
心の整理がうまくつかなかった。
それを見かねた祖母が

「これ、買ったから渡しなさい」

と、鉢に入った花を私に渡してきた。

「嫌だ」

本音が思いっきり出た。

「せっかく家に来て、
貴方のお母さんになってくれた人でしょ」

「・・・・・」

頼んでなんかないのに。

私は仕方なく、渡すことにしたが
鉢に刺さっていた、

「おかあさん ありがとう」

と書いてあったプレートは
泣きながら引っこ抜いて捨てた。
最後の悪あがきだった。

どうしたら、もっと素直な子になれるんだろうか。
大人になれるんだろうか。
祖母が一生懸命作ってくれたお弁当を喜ぶ、
再婚した両親の幸せを喜ぶ、
新しく来てくれたお母さんに感謝する、
もっと私が素直で大人ならできていたのに。

私も誰かの、「1番に愛する人」になりたかった。

父が新しいお母さんを愛しているように、
母が新しい旦那さんに愛されているように、

私も誰かの1番になりたかった。

優先順位の1番に。


恋愛が苦手でうまくいかない私は
まだまだ1番にはなれなそうだから
せめてこの自由なnoteの世界では
誰かの1番になれたらいいな、
と思って今日もひっそり書いています。

                    つづく

















 

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