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16. 人は人を捨てられないのに。


≪ 15. 午前4時、私たちの時間

ハル(海/尊)|女風で出会った私のパートナー。
シンジ|乱交パーティーの主催者。作曲家。


尊は靴を脱いで部屋に上がる。

玄関には仕事用の革靴がいくつかと、普段履きのスニーカーが出ていた。

2LDKの家の中は意外と物が多くて、少し散らかっている。


まさか家に来るとは考えていなかったから、彼の暮らしぶりを想像したことはなかったけれど、部屋は現実で溢れかえっていた。

家庭はないようだ。本当に。


『上品な部屋じゃなくてごめんね、そこのソファーに座ってて』

濃いブラウンの革ソファーの横には、洋服が置いてある。
ハンガーにかかったものと、無造作に置かれたもの。

女物はない。


『テレビでも見る?』

「えっ、もう4時だよ。明日も仕事でしょ、早く寝なよ」


『その前に、葵のこと「消毒」しないと』

「...なに、言ってんの」


天邪鬼な私は、いつも尊に冷たく当たってしまう。


シンジが笑って言っていた。
『ハルくんが尻に敷かれてるの、初めて見た(笑)』


パーティの時も、私はいつも尊をあしらって振舞った。


自分は捨てられる側ではなく、捨てる側なのだと、彼にも自分にも皆にも分からせたかった。


人は人を捨てられないのに。


父は私を捨ててはいない。

もっと好きな人が出来ただけだ。

母よりも、私よりも、弟よりも、好きな人が出来ただけだ。


私はまだ怯えていた。

もう、惨めな想いはしたくなかった。


万が一「ダメ」になっても、傷つきたくなかった。

傷ついたとしても、「傷ついてなんかいない」と、少なくとも体面だけは保ちたかった。


こんな接し方は辞めたいと頭では思っていても、素っ気ない態度を止められない。


それでも。

尊の指が首筋に触れると、私はそれだけで全身が鳥肌だって、息が上がる。熱い涙が瞳を満たして、瞼から流れ出す。

少しざらついた指が火照った身体を愛撫するうちに、理性が溶かされて、私は、私の知らない自分を認めてしまう。


弱くて、自分に自信がなくて、甘えたくて、誰かの愛を独り占めしたい自分。


「嫌だった、知らない人とするなんて、本当は、すごく、嫌だった」


途切れ途切れに、やっと絞り出した小さな声は、パトカーのサイレンにかき消された。



寝室の窓からは、ドコモタワーが見える。


小田急のホテルからはあんなに近かったのに、今は遠巻きに私たちを見ている。


≫ 17. 蛇男


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