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【漫画】『キーチ!!』『キーチvs』自分史上最高の漫画に出会ったかも知れない!

子供の頃から45歳の現在に至るまで多くの漫画を読んできた。
印象的に残る漫画、泣かされた漫画、こんな発想はなかったという漫画、作者の思想に共感した漫画などなど、思い出に残る漫画はいくつでも挙げることが出来る。

中でも「これまで読んだ中で最高の漫画作品かも知れない」と思わされたのが新井英樹『キーチ!!』だ。

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Story
山で生まれた父と海で生まれ育った母のもとに生まれた染谷喜一は3歳にして1人で電車に乗って遠出する行動力の持ち主だが、あまり喋らず泣きもせず、意思表示と感情表現が下手なせいもあり周囲の目にはあまりにも暴力的と映る。
とはいえ、時間の経過と共に輝一の暴力の理由が明らかになると、次第に周囲に理解されるようになる。
しかし、目の前で両親が通り魔殺人の被害者となってから輝一の人生は一変。
自分を取り合う両親の祖父母の元から逃げ出し、ホームレスと共に暮らし、更なる死を経験し、両親以外初めて信頼できる「好きな大人」を見つけ、さらには単独で3ヶ月も山籠りをして暮らす。

主人公染谷輝一の幼少期における特殊な人間形成とその発現を描いた『キーチ!!』から10年程度経過し、輝一の成長した姿を捉えた『キーチvs』も素晴らしい作品ではあるが、作品そのものの世界観が巨大化して多くのエピソードを盛り込んだせいで、『キーチ!!』と比較すると完成度はやや低くなっている気がする。

とはいえ、これは後述するように打ち切りが大きな要因になったと考えた方が良いだろうし、『キーチ!!』は『キーチvs』を描くためにあったのだから、その点両作品はブレることなく一つの思想に貫かれている。

染谷喜一とは何か?

上記で紹介したストーリーは『キーチ!!』のスタート地点にあたる。
輝一は野良猫の死、両親の死、そして擬似体験としての両親の2度目の死を体験することによって命というものを経験し、放浪生活中にはホームレスの哲ちゃんや中居の秋ぽんの影響を受けてその生涯に貫かれる「ひとり すごい ひとりだいじ みんなひとり 生きる楽しい ひとりだから」という輝一哲学とでもいうものを手にする。

その後輝一は父方の祖父母に引き取られるものの、周囲には理解されず小学校の転校を繰り返した。
しかし、転校先のある小学校で知り合った超秀才甲斐慶一郎の「一緒に日本を動かそう」という誘いから目的と仲間を得て、さらには親による幼女売春の被害者である同級生みさとを救うという使命を得てそれを実現させてしまう。
これは『キーチvs』の世界へのデビューとも言える活動の原点となった。

僕がこれまで読んだ新井英樹作品は、ボクシングを題材にした『SUGAR』続編の『RIN』、そしてドラマで知って原作も読んだ『宮本から君へ』(勿論映画も見た)、そしてこの『キーチ!!』『キーチvs』のみだが、新井はその全てにおいて、同調圧力的な社会的ルールを無視、或いは破壊し、自己のルールを徹底的に追求する純粋人として主人公を描いている。

とはいえ、『SUGAR』『RIN』、そして『宮本から君へ』と『キーチ!!』『キーチvs』では決定的に異なる点もある。
それが石川凛と宮本浩が挑むものと染谷輝一が挑むもの、その舞台の大きさ、スケール感の違いだ。

『SUGAR』『RIN』の主人公石川凛が対決するのはボクシング、ひいてはボクサーでありボクシング界とそれを取り巻く業界、その慣習であり、そして『宮本から君へ』の主人公宮本浩が対決するのは営業マンとして自分の所属する会社であり関連会社でありそこにいる人々とその慣習という比較的明確で小さな枠組みだったのに対して、『キーチ!!』『キーチvs』の主人公染谷輝一が対決を挑んでいるのは「日本」であり「日本人」という有形無形の巨大な枠組みである。

そのような戦いを可能にした輝一のその強烈な個の力は、その行動力とともに、類稀な直感力と純粋性に依るところが大きいだろう。
そのような純粋性、直感力は、輝一の持つシンプルな判断基準「好き・嫌い、強い・弱い、綺麗・醜い」という非常に感覚的な表現にも顕れている。

甲斐慶一郎を相棒に選んだのも、甲斐の十歳そこいらでの「親捨て」を選んだ強さを評価したからだし、幼児売春の被害者でもある同級生みさとにも親を捨てることを求め、みさともそうした。
これは「強い、好き。弱い、嫌い」という単純な判断基準に依る。
そしてそのような判断基準は多くの点で「常識」や「法律」と対立する。

作者の描きたかったものは何か?

この両作品には多くの現実的な社会問題が登場する。
『キーチ!!』では幼児売春事件が扱われるが、これはプチエンジェル事件をモデルにしたものだ。

(ちなににこの事件を追っていたフリーライターが惨殺されるという事件が起こっているが、この殺されたライターの本名が「染谷悟」である)

このプチエンジェル事件には不明な点が多く、ネット上には真相不明の陰謀論、都市伝説の類が多く転がっている。なかでも、政財界につながりがある為に中途半端な形で捜査が打ち切られたのだという話がまことしやかに語られている。
それら一つ一つの真偽は別にして、確かに事件の概要をみるだけで多くの疑問が浮かぶことは間違いない。新井は、この事件とその周辺で生まれた噂話を題材に用いるのは、染谷輝一と甲斐慶一郎のデビュー戦として相応しいと考えたのだろう。
そこには、政財官、そしてマスコミの癒着体制という一つの構造が見えるからだ。

続いて『キーチvs』では、『キーチ!!』から約10年が経過し、構造改革という美名のもとの弱者切り捨て政策が進んだ社会が舞台になっている。
そこで輝一は、BSE問題に端を発する牛肉偽装事件で業界を敵に回すことを知った上で告発した栗田冷蔵の栗田社長とともに戦い、続いて劇団波羅蜜多とともに日本政財界のトップ、そしてその向こうに見える日米地位協定、つまりアメリカを相手にする。

このように、新井は現実にある社会問題を創作も含めながら提示していくが、そこに共通しているのは、上に書いたような、政官財、そしてマスコミの癒着体制、その社会構造であり、さらに『キーチvs』でより鮮明になったのは、『キーチ!!』でも描かれていた輝一の「被害者を周囲で眺めている傍観者への厳しい目線」が、10年を経た『キーチvs』では「主権者としてあるべき役割を果たさない国民への怒り」へと昇華していることだ。

染谷輝一の目に映った日本社会の有様というのは、政官財、マスコミを含めた癒着体制によって雁字搦めにされており、そこで生きる国民は「どうせ社会は変わらない」と傍観、諦観し、平和ならば不正にも目を瞑り、弱者を助けることもせずそれで良しとする薄ら甘い平和主義者たちの群れだ。
そしてそこには、行動する人間の粗探しをし、動機を批判し、茶化し、所属や年齢や、ありとあらゆるものを否定の材料として積み上げるような人々も少なくない。
彼らの中では基本的に「何もしない」ことが善とされる。

これに対する輝一思想の顕れとして、食肉偽装を告発した栗田冷蔵の栗田社長がテレビのチャリティー番組に出演した際に多くの観客とテレビカメラの前で行った激白がある。
このシーンはこの漫画の最大の見せ場の一つだ。

栗田社長は、告発するか迷っていた時に孫の「相変わらず思ったままの世の中だ」という言葉を聞いて告発することを決めたと説明し、観客の「空気を読め!」「説教はそこまで」という言葉に怯みながらも以下のように続ける。


「私ら大人は子供のそんな言葉にどう答えますか!? 
『世の中はどうせ汚い』という子供に、『聞いた風な口をきくな』って堂々と怒鳴れますか!? 
『汚いからうまく立ち回れ』とアドバイスするだけですか!? 
私ら大人はこういう時に心を痛めるべきじゃないですか。 
世の中汚いと平然という大人は全員責任逃れの汚い人間だ!! 
そういう奴は子供に謝れ!!俺は理想を履いて死ぬまで戦うぞおっ!!」


(鉤括弧内『キーチvs』第3巻より引用)

これは、法律や常識とは別次元の正義の希求である。
これこそが、新井英樹の言いたかったことだろう。

「日本」のアンチテーゼとしての染谷輝一

『キーチ!!』『キーチvs』を全て読めば明らかだが、輝一の哲学は「日本」であり「日本人」のアンチテーゼであり、日本人が民主主義を享受する上で足りない「個」という存在の象徴だということが分かる。

輝一は最終篇で日本国民に対して「権力を監視しろ」という要求をする。これは最終篇で輝一がなした常軌を逸した行動からするととても釣り合わない、物凄くシンプルな、民主主義における主権者としての義務と呼べる本来ごく当たり前のものだ。

支持や不支持とは別にして、「権力を監視する」というごく当たり前の役割さえ国民は果たしていない、というのが輝一であり、新井の認識なのだろう。

そして「変えられない」という敗北感の中で輝一は「根こそぎひっくり返す」という発想に辿り着き、それを甲斐は「革命」と解釈する。
勿論、その場で社会をひっくり返す手段と言えば革命をおいて他にない。
輝一も当然それをそれを欲するが、革命というのは要するに、主義の為に人を殺すことである。
誰よりも命知らずの輝一ではあるが、誰よりも他人の命を大事にした輝一がそれを成し遂げることが出来るはずがない。

輝一は(甲斐もそうだが)あるべき子供時代を歩むことが出来なかったが、社会の犠牲となってその生き方を日本人に示した。とはいえ、輝一は民主主義社会において望まれる「個」ではない。
やはり輝一はあまりにも突出しており、アンチテーゼ的な、極端な存在だったのだ。
だからこそ輝一は日本人にカリスマ・救世主として受け入れられ、同時に多くの国民に嫌われたのだろう。

おわりに

新井は最初から最後までを粗方頭の中に作ってから書く作家だろう。
ただし、新井英樹作品は『SCATTER』を除いて全てが打ち切りによって連載を終了しているらしい。

ということは当然この『キーチvs』も書きたかったストーリーの全てを描ききったわけではない筈だ。とはいえ、ほぼ全ての作品が打ち切りならば、恐らくは不本意なタイミングでの終了を見越してその用意もしていただろう。

それを考えれば、『キーチvs』において、描きたかたったストーリーの全てを書き切ることは出来なかったにしろ、作品の中で言いたかったことについては出来るだけ書こうとしたのではないか。
そのせいもあってか、最終編となった波羅蜜多編の展開はやや性急に感じ、感情移入し難い部分もあった。

もし打ち切りがなければ、相棒の甲斐慶一郎が輝一と離れた一瞬の間にぶち上げた「染谷輝一を総理大臣に」という展開も(実際に総理大臣になれたか途中で挫折するかは別にして)あったのかも知れない。そしてそこでは、恐らくもっと生々しい政治の表現があった筈だ(ちなみに『キーチvs』では、「これで与党の連中がひっくり返る」と発言した国会質問の直前に刺殺された民主党の石井紘基をネタにしたと思われる話題も取り上げられている)。

また甲斐は作中のテレビ出演中で「記者クラブ制度、電波オークション、クロスオーナーシップ、新聞特殊指定」というマスメディアの既得権益も話題にしている。
ここら辺は簡単に取り上げただけではあるが、これはマスメディアは国が作った国民のガス抜きの為の出先機関でしかないという表現であり、本来はこの辺りも話題にしたかったのかも知れない。

あり得たかも知れないそのような内容を読むことが出来なかったことはまことに残念だが、この作品が傑作であると思う気持ちに変わりはない。

また、染谷輝一があまりにも極端な存在であるが故に、この作品については否定的な意見も多い。
『キーチ!!』第1巻のAmazonレビューから抜き出したい(この中には、『キーチ!!』『キーチvs』を全巻読み終えて書いたと思われる意見も含まれている)。

「幼稚」「自分勝手」「不快」「主張が薄っぺらい」「しつけのなっていない狂犬としつける気のない飼い主」

否定的な意見をピックアップしたが、単なる好悪の感情をもってそれをどうこうと言いたいわけではない。
評価は様々だ。

ただし、感情的に気に入らなくても、どうか最後まで作品を読んで欲しい。そして、輝一・新井英樹の主張する一般的な日本人像について「確かにそうだ」と思うなら、それに自分を当てはめて見て欲しい。

僕は、『キーチ!!』『キーチvs』の両作品を読了し、自分もやはり輝一が言ったような日本人の一人であることに気付かされた。

批評し、知ったように社会を語るし、選挙にも行くが、それで社会は変わるわけはないと思っており、半ば以上に諦めている。
弱者の存在に心を痛めはするがそれを変えようと努力することも、考えることも、より多くを知ろうとすらしない。

この作品は日本人に「怒らず、文句も言わず、疑うこともせず、『仕方がないそれが世の中だ』と言って、その実損得勘定でしか物事を判断せずに弱いものを見捨てる、そういう人間になってはいないか?」と問いかけている。
勿論、日本人に限らず人間は多かれ少なかれそういうものである。だからこその問いかけとしてこの作品は読まれるべきだろう。

好きなシーンはいくつもあるが、特に甲斐慶一郎の「親捨て」のシーンと、本文で引用した栗田社長のシーンは何度読んでも胸にささる。

ちなみに、この栗田冷蔵の一件は、雪印牛肉偽装事件における西宮冷蔵の告発を題材にしている。

つい先日NHKのBSでこの西宮冷蔵についてのドキュメンタリー番組が放送されたそうだ。
この番組では(知人からの伝聞だが)、社長の娘が自殺未遂を図り半身不随になり、息子は数億の借金を抱えながら他の倉庫で働いている姿が放映されたとのことだ(リンクしたサイトのコメント欄も是非読んで欲しい)。

小林よしのり『ゴーマニズム宣言』は、統一教会やオウムなどのカルト宗教、部落差別や薬害エイズ問題、そして第二次世界大戦や戦後問題など様々な議題を提供し、多く考えさせられたが、ストーリー漫画でここまで色々と考えさせられた例は初めてと思う。

『キーチ!!』『キーチvs』を読んだ人は、是非この作品を読んでどう感じたか、日本人としての自分について考えてみて欲しい。

あなたは、怒らず、文句も言わず、疑うこともせず、『仕方がないそれが世の中だ』と言って、その実損得勘定でしか物事を判断せずに弱いものを見捨てる、そういう人間になってはいないか?

                                            おわり


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