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毒親は単体で毒ではなくて…

毒親ってなぜか周囲の人間も毒に加担する構造になる。
毒親自体が、対人関係に境界線のない付合いをする。

それに耐えうる人々や元々ニーズが合う人々なんかと共依存になって、コミュニティを発展させる。

境界線のない付合いなんか、通常小規模にしか成立しない。
しかし、大規模な共依存国家を成立させてしまえるパワーと能力があるのが毒ファミリーなのだ。

子どもにとったら、実際の世間という助けに手を伸ばすまで、ものすごい距離がある。
正に城壁が出来上がるのだ。

私の実家的には、キリスト教会は はからずもいいカモになってしまった。

よく問題になる新興宗教なんかは、その宗教自体が個人の境界線を壊す役割がある。
社会的に問題がないと認定されている宗教団体は、その辺が問題ないように運営していくのにすごく神経を使っている。

私の信仰する教会の教団も一応ちゃんとしている。
だけど、それでも毒信者一家を牧することは、非常に大きな苦労があったはずだ。

うちの毒母は、自分が子育てに向いてない事を結構自覚していた。
当時も民生委員や保健婦のサポートサービスなんかもあっただろうけど、毒母は気に食わない相手だったらそれだけで決して許さない。
毒母は他人に自分を変えようとされるのは嫌だったのだ。
しかし、子どもだけは何とかしてやりたいと、助けを求めたのが教会だった。
(まぁ、その水準が「圧倒的に他人より良くしたい」というのが病的なところではあるのだが)

「自分は子どもを育てるのに自信がない。「救い」や「愛」を子ども達にキリスト教から教えてやってくれないか」
毒母はそう言って私と兄を牧師の前に連れて行った。
当時幼稚園でバイトしていた若い牧師は、快諾しつつもちょっと困ってこう言った。
「もちろん。お子さん達を歓迎します。しかし、子育てにおけるキリスト教的な救いはまず、お母さんであるあなたの心が救われる事が大切なんですよ」

「母を何とかしてくれ」と思っていた私はこの言葉に感動した。
当時1年生になったかどうかぐらいだったと思う。
本当に母を救ってほしかった。

この牧師には2代にわたって世話になった。
毒母はキリスト教の教えをよく学んだ。
人間には言われたくないけど、「神」がそう言うなら耳を貸してやろう。
あっぱれなスタンスだ。
しかし、毒母は「神」以外はたとえ牧師であろうとも容赦なく個人の境界線を破壊しながら突き進んだ。
牧師一家は毒信者の個人の嗜癖的要求と救いの要求によく耐え、よく応え続けた。

ただ、牧師も決して聖人ではない。
古い方の牧師なんかは時として毒母に辛い仕打ちを辞さないことも多かった。

子どもであった私に対しても同様に。
いや、毒母に勝てない分 私には容赦なかったかも知れない。
牧師もまた、良くも悪くも常人ではない力の持ち主だったと思う。

教会の権威と個人的憎しみを心の奥底に流し込まれた時の心臓がひやりと冷たくなった感覚は なかなか味わえるものではなかった。
本当に離れてほしかった。
だけど、離れられないのだ。
救いに枯渇するこんな毒家族を牧する事ができる正統な教会はどこにもなかっただろう。

毒は毒を呼ぶ。
真実な愛や忍耐と複雑に絡み合いながら。

夫との縁を取り持ったのはこの古い方の牧師。

子どもが生まれて色々あり、
夫と共に毒家族とその教会を離れることになった。
(誰もが離婚すると思っていたが、夫は決して自分の家族を手放さなかった)

毒家族と同時に教会からも離れたことは正解だった。
ただし、全てが悪ではない。

自分のリカバリーストーリーを描くにあたって、
私を苦しめた存在が、だだ「毒」というだけでは語れないことを最初に書いておきたかった。


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