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見えないセカイを見るために、見えるセカイはある

蝉の声と丁度良い風、少し眩しい光の中で
目覚める朝。

お弁当作らなきゃ!と起きなくていいから
夏休みの朝は好きだ。

現実的な暮らしと並行して
7月は不思議な月だった。

まず母の命日、お墓参り。
これらはもう毎年の恒例行事。

なんだけども
母に想いを馳せる時間が長かったというか、
すごく繋がっていた実感が強かったというか、
ともに過ごしていたような、時の流れ。

もし わたしが
ある程度の経験をし、この世に感謝し、
やり残したことを感じずにいたとして、

「肉体を離れた方が、
大切な人たちにできることが たくさんあるよ」
なんて言われたら
そちらを選ぶかもしれないな、と思った。

そんな風に母は逝ったんじゃないかと
ふと思った後のお墓参り。

叔父の言葉は、母の言葉にしか聞こえないほど
母の愛情と同じ感覚に包まれた。

こんな風に愛してくれてたなぁ、と体感したら
子どもの頃の無邪気なわたしがクッキリと戻ってきて
今も、わたしの根っこで生きている。

わたしの住む北大阪は
大雨や地震、台風と続いたが
最初に大きな地震を体験した6月とは変わり、
心は平安で 愛に満ちている。

なんだかわからないけれど
愛したい気持ちが、
子どもの頃のように常に湧き上がっている。

それらが見えなくても
溢れているからなのか、
わたしの心が平安だからなのか、

とても大切に思っている、と言うことを
気にかけて言葉にしてくれる人、
できることはないかと力になろうとしてくれる人、
とにかく温かな出来事がどんどん重なる。

わたしの捉え方が変わったのか、、、

それらも
もう
解明する必要もないほどに。

感謝を感じながら、
味わいながらただ生きることは、
子どもの頃と同じだと言うことを再度思い出した日、
メッセージがやって来た。

心の平安は外に探すものではなく、
自分の中にある。

好きなことをする、
害を感じるものをきちんと避ける、
無理をやめる、
体調を整える、

どんな状態でも心の平安があると、
パラダイス!

なーるほど!!!
わたしはパラダイスにいるから 不思議なのだ、
と確信する。

目に見えないセカイは
目に見えるセカイが教えてくれる。


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