見出し画像

隣の芝生はいつだって青く見える。でもそれでいい。

隣の芝生は青い、いつだって真っ青に見える。
そして自分の芝生はくすんだ薄茶に見える。
比べて自分を貶して落ち込んで悩んで
人を羨ましく思い、
そして自分や周りの人を憎んだり。
最終的には自分なんか生きてる意味ないとまで
考えてしまう事だってあった。

でも、私は誰と何を比べてるんだろうと
寝付けなくて布団の中で悶々としていた時
ふと思った。

彼氏が出来た、ホワイトな企業に転職した等
こんな羨ましい報告が友達からよくある。
その時はおめでとうと自分まで嬉しい気持ちになるけれど、ひとりになった途端
あぁいいなぁ。私にはなんで。。となって。
またネガティブモード。
そして比べて自分を落とす。
でもそりゃあ、そう。
だって私と違う人生歩んでるんだもん。
違う親から生まれてスタートライン違くて
関わってる場所や人、全てが異なる
他人じゃないかと。

『自分は自分。他人は他人。
全て同じ人生なんかひとつも無い』
こんな考えできるようになったのはここ数ヶ月。
開き直りのように聞こえるかもしれないけれど
この言葉が心の片隅にでもあると、
どこか落ち着く。そのままの自分でいいんだよ…と認めてもらえてるような気がして。

比べてばかりの人生を歩んできた。
そして人の真似をしてその人のようになりたいの一心で。でもなれない。
私はその人ではないから。
だから私は自分の人生を歩む。
私だけが歩める人生を。

でも比べることは悪いことではないと思う。
羨ましく思い青く見えるその芝生と
比べて自分と比較する所までは。
そこからまたネガティブにならないように、
あの言葉を唱えながら考える。
私とここが違うな。
あの人はこう思ったのかな?
こう行動したのかな?って。
そうすると他人の思考がわかった気がして
なんだか面白い。
そして自分にはなかったものをプラスに捉えると
自分のものにできるような気がする。
こんなやり方があるのかと
ちょっぴり盗ませてもらうことで
自分にも青いところができたと
思うことができる。

いつだって真っ青に見えてしまう隣の芝生から
ひと草ほど頂いて、
薄茶の自分の芝に植えてもいいじゃないか。

そして、隣の芝生はいつでも青くてもいいじゃないか。
全く同じ芝生があったらつまらない。
自分の芝生にも青いところがあるよ。
薄茶のところがあってもいいじゃないか。と
言い聞かせながら。歩んでいこう。

この記事が参加している募集

最近の学び

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?