保育園の存在意義
今日、父の一周忌と初盆の法要を済ませて、ホッとしています。心残りばかりですが、区切りをつける意味でも、法要を済ませることができて良かったです。
一番最初に身内が亡くなるという経験をしたのは、35年前実家の前に住んでいた祖母が亡くなった時です。当時は49日まで、7日ごとに法要が行われ、長時間正座をしてお経を聞いたことを覚えています。
最近は、お経を聞く時間も短くなり、椅子に座ることが多くなりました。だんだん忍耐を経験することが少なくなり、時代の変化を感じます。今からを生きる人には、これまでと違った価値観が求められるのでしょう。
夕方、保育園に行くと、子ども達が元気な声で駆け寄って来てくれました。子ども達に会うとホッとします。どんな時代であっても、子どもの可愛さは不変です。
こんばんは保育(延長保育)で、迎えに来られたお父さんが、3歳児のAくんがおにぎりを食べているのを見て、「ごまおにぎりを食べれるんですか?家では白ご飯と麺しか食べないのに。」とおっしゃいました。それを聞いた担任のM先生が、「今日の給食のラタトゥイユのにんじんも食べましたよ。」と答えると「保育園では、そんなものも食べているんですね」と嬉しそうにおっしゃったそうです。
Aくんは今年4月に入園して、白ご飯しか食べてくれなかったのですが、お友達が食べているのを見て、「食べてみようかな」と言う気持ちが出てきたようです。
保育園は、自分と同じ年の子ども達がいるので、その姿や行動が刺激になり、「自分もできるかもしれない」という気持ちが育ってきます。「〇〇しなさい」と言われてするのではなく、「自分で〇〇しよう」という気持ちが出てきます。小さな子ども達の成長一つ一つが保育園が存在している価値なのだと思います。