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プロトテアトル『ザ・パレスサイド』終演

はじめに

プロトテアトル『ザ・パレスサイド』が終わりました。

今回は「長い」と感じる暇はなく、日々食らいついていくのに必死。
そう考えると、「終わらないかも」なんて思うのはスタッフとして関わったときだけですね。現状は。

それはさておき、苦しい公演でした。そんな中、無事に幕を下ろすことができたのは、一重に皆さまのお力添えのおかげです。

関係者各位、ご来場いただきました方々、ありがとうございました。

笑って終われた喜び

本番直前まで、台詞を入れることで精いっぱい。
あまりくり返し書くと言い訳くさくなって嫌なので以下の記事を参照してほしいのですが、僕にとって相当きつい諸々の事情がありました。

稽古不足に見えないよう、家に帰っては遅くまでひとりで練習しました。わからないところは、どんなに初歩的な質問であろうとペレイラくん達に聞きました。

結果、あとで「質問しすぎ。常識でわかることは自分の頭で考えてください」と注意されるほどでしたが、僕はそれだけ慎重に進めないと、恥をかいてでも迷惑をかけてでも確認しないと、破綻してしまうと怯えていたのです。

この詳細はいつかどこかで綴るとして、最終的には「楽しかった」と笑って終われたことが、とにかくよかったと思っています。

役ーキャラクターに還元しきれない何か=魂?


「ホテリエと客の二人を複数人が演じることにより何故か演じている人間の魂の形が背後に見えたという感想をいただきました。生き抜くことはとてつもなくエネルギーがいること。すれ違う人の数だけ物語があります。当たり前すぎて忘れちゃいがちな事。私はやっぱり他人がとてつもなく愛おしいです」とは、劇団員のサヨさんの弁。

それに対して、僕は以下のように引用でつぶやきました。

「分裂してる実態が台詞主導ではなく、俳優の個体差に表れているのが演劇ならではで面白い。伊藤さんの佇まいや声の質感に、役ーキャラクターに還元しきれない何かがあって見応えがありました」とのFBが支えだったのだけど、その「還元しきれない何か」が極論、魂みたいに感じられるのかなと思うなど。

この、サヨさんのいただいた感想に、僕は惹かれました。スピリチュアルとかそういうのに関係なく、「魂の形が見える」ってあると思います。

しかし、あえてそれを理詰めで説明するなら、「俳優の個体差によって生じる役ーキャラクターに還元しきれない何かがが魂の形を感じさせている」のかなぁと思ったのです。

そして「役ーキャラクターに還元しきれない何か」は俳優全員に大なり小なりあって、それがこの劇の見どころであり前へと進む力になっていたと思います。

こうしたことを考えられるのも、ペレイラくんの戯曲のクオリティが高かったから。

とくに舞台に立ち上がったときの驚きという点で、特筆すべきものがありました。

賞レースがすべてじゃないことは承知の上で、僕はペレイラくんに『ザ・パレスサイド』で戯曲賞をとってもらいたいです。

そう思うくらいには、貴重な経験でした。

俳優から感じる人間味、異質さの正体

また、僕の演技は「人間味に溢れている」「異質さを感じた」等と言っていただきました。

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