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不自由な者たちの同窓会『機動戦士ガンダムSEED FREEDOM』

はじめにーなぜいま、SEED FREEDOMかー

2024年1月26日より公開された、『機動戦士ガンダムSEED FREEDOM』。

登場人物の大半が恋愛(≒SEX)のことしか考えてなくて、結果として核兵器などで信じられない数の人々がすごい勢いで戦死する様は引いてしまった。
まわりでは絶賛してる方ばかりだったので水をさすのも悪く、時間を置いた今、noteに書きます。

まず前提として、私は初週に友人と観に行ってこの映画を楽しみました。
楽しんだうえで、いくつか思うところがありました。その中から二点ほどを挙げようと思います。

どこまで「ネタ」だったのか?

ひとつは前述の問題。SNSで感想を漁っていると「実質クロスアンジュ(『ガンダムSEED』シリーズの監督である福田己津央氏がクリエイティブプロデューサーで参加していた作品)」だったりネタと割り切っておもしろがっている方が多くて、私もネタアニメギャグアニメは好きなのでそういった意味ではおもしろかったのですが、やっぱり冷静に考えてみるとえげつないよなと。

おそらく、ここで問題になってくるのは「制作サイドがどこまでネタとして描いているか」だと思います。
これはかなり難しい問いで、簡単には答えが出せません。

福田己津央監督以下スタッフの皆さんが、最初のTVシリーズから20年以上経ち、ガンダムSEED自体がいわゆる「ネットミーム」的に消費されていることを逆手にとって「ネタ」を仕込んだというのは、疑いようのない事実でしょう。

しかし、全体の演出はともかく物語の本筋に関しては、けっこう真面目に描かれていたのでは?
これが私の見解です。そして、そうなってくると話は大きく変わってきます。

真面目な描写でアレなのだとしたら、この作品は危ういと言わざるを得ません。
昨今の社会情勢において、この作品を無自覚に持ち上げてしまうファンたちも。

すべては推測で裏づけがないので(しようがないとも言えますが……)これ以上、話を進めるのは得策ではないと思われます。
なので、次に移りましょう。もうひとつ、私が気になったのは女性キャラの「分厚い下唇」です。

「分厚い下唇」はなんのため?

ここまで書いてきた内容からすれば、些細なことかもしれません。
でも、どうしてああなったのか? 気になって仕方がなく……。

正直、私からするとただただ記号的に思え、作品の根底に流れるリビドーの嵐からも女性を性の対象としか考えていない、そうした思想(大げさではなく)が透けて見えて気持ち悪かった。
それは無駄に殴り合って和解するキラやアスランに象徴されるように、女性から見た男性もそうで、「女ってこうでしょ」「男ってこうでしょ」と押しつけられているみたいでしんどかった。

だって、殴り合いって。

昔のアニメなら当たり前のごとくあった光景なのかなと思いますが、あまりにも価値観がアップデートされてなさすぎじゃない?

この映画に対して「性の消費だ」とまで言い切るつもりはありませんが、それに近いことが頭をよぎるくらいには、“旧時代の人たち”が20年前の価値観そのままにつくったという印象が拭えませんでした。
いくら「ネットミーム的」に笑いを取りにいっても、ごまかしきれないものがあったと思います。

もちろん、そうやって救えたファンもたくさんいるのでしょう。
かくいう私もシンとルナマリアの関係が好きだったので、彼ら、とくにシンの描かれ方には一定の納得感、満足感がありました。

とはいえ、新たな“声なき”犠牲者も生んだのではないか。
幸い、私のそばには冷静な意見をもった友人がいたので、そんな話をしつつのんびりと帰路につきました。

おわりにー映画館を包んだ「一体感」ー

最後に。私は、あの日映画館を包んでいた、ある種の「一体感」が忘れられません。
時に身を乗りだし、時に失笑……貴重な観劇体験だったと言えます。

『機動戦士ガンダムSEED FREEDOM』は私にとって、「過去に縛られた不自由な者たちが集まる同窓会」でした。


演劇には、とにかくお金がいります。いただいたサポートは私の今後の活動費として大切に使わせていただきますので、なにとぞよろしくお願いいたします。