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中国と香港と台湾と…

この四月から中国人、香港人と職場が同じになった。
外見的には、日本人とほぼ一緒だが、やはり話してみると外国人だと思うのは不思議な感覚である。

彼らはとても流暢に日本語を話すので、わざわざ日本語以外で会話する必要はない。だけど、会話のちょっとしたニュアンスで英語の方が伝わりやすいと思う瞬間もあるという、発見も面白い。

使える言語がいっぱいあればそれだけ、伝えられる手段も増えるな~と実感している。

言語を学ぶ面白さをまた発見できてうれしい。
先日、中国人男性とちょっとだけだけど、歴史について話す時間が持てた。日本人である私からすると、中国は日本と比べて国土が広くとてもダイナミックで多様性に富んだ思考が育まれそうな土壌だと思った。
だけど、彼によると、中国の教育から飛び出して、日本に来てみると、知らないことがいっぱいあって視野が広がったと言っていた。そして中国に帰って中国の友人と話すときは、意見の相違も生じるということだった。

時折、彼が日本語の言葉を選択するとき、言い換えたりするのが、英語を話そうとするときの私と重なって、母国語じゃない外国語を話すときの雰囲気も興味深かった。一つの感情、概念、事象を、違う言語に置き換える時、自分が持っている限りの単語で、相手に伝わるようにすること。それがコミュニケーションで、相手との相互理解を深める手段だということも、感じた。

彼との会話での私の発見。国土の広さに関係なく、教育が人を作り上げるという一面。日本みたいな島国以外の人でも、外国に飛び出すということは視野が広がるということ。お互いのことを話し合ううえで、歴史知識があると、話が盛り上がりやすいということ。

香港と中国の衝突についても、政治レベルの問題で、個人間ではそれは関係ないと、彼は言っていた。この話から、過去の戦争を振り返るとき、戦争の意味とは一体何なんだろうか、と思った。

ついつい話が止まらなくなりそうだったから、またよろしくお願いします。ということで切り上げたけれど、会話することでまたまた知ってみたいことが増えた。

香港人の同僚としゃべったときは、なんで日本語を勉強したのか?から始まって、結局、何か国語を話すのか?と、ついつい聞きたいことを矢継ぎ早に投げかけてしまった。
まず、広東語の中で生まれ育ち、そして英語、そして日本語。でも彼女は中国人の同僚とは中国語でもしゃべっている。台湾人の友人もいるそうだ。一体頭の中はどうなっているんだろう?聞きたいことがもう無尽蔵に飛び出してくる。

外見は同じ東アジア人だけど、育ってきた国や文化が全く違う。

学校の歴史ではそのあたりの違いを深く学んでこなかったので、知らないことがいっぱいあるという気づきに至った。

私が唯一、人生で二回行ったことのある国が中国だ。
その時、もうずいぶん前のことだが、中国語を勉強しようと思ったけれど、ラジオ中国語講座の4月か5月で挫折してしまった記憶がある。微々たる学びだったけど、仕事中耳に入ってくる中国語がところどころ聞き取れることに、ひそかな喜びを感じている。

まずは「おはよう」と「ありがとう」を、中国語と広東語でそれぞれ何と言うのかというところから、自分の語学の世界を広げていきたいなと思った。そして詳しくは知らなかった香港、台湾、その他近隣アジアの歴史を理解したい。

大学の専攻を、語学じゃなく、史学にしたのは、こんなところにも通じているのかなと、今頃思っている。メリットデメリット考えず、それがどう役立つか役立たないか何も考えなかったことに、ずっとずっと後悔したこともあったけど、やっぱり本当に好きなことを大事にしてよかったなと、思えたこの度の出会いだった。


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