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主体的であれ

誰かがなんとかしてくれると思っていた。誰かがどうにかしてくれると思っていた。誰かリーダー格の人が行き先を決めてくれて、私は思考停止でそれに乗っかっていれば良いとずっとずっと思ってきた。そんなポジションを望み続けてきた。

何かに乗っかっていたら、自分の思い通りの場所、とまではいかなくても、そこそこ安泰な場所に連れて行ってくれると思っていた。自分が欲しいと思うものを身の回りに置いて、それがあれば安心で、それが目的だとも思ってきた。

無難に無難に人生が通り過ぎれば良いと思ってきた。自分から何かを開拓したいとも思わないし、何も求めない、ただ自分に与えられたものを「はいはい」と受け止めていけば良いと思ってきた。

自分が自分を引っ張るなんて微塵も思ってこなかった。コバンザメ状態で何か大きなパワーにぶら下がってそれで安全であれば良いって思ってきた。

結局自分を信じていなかった。自分を無力だと思ってきた。リーダーシップという言葉は自分とは無縁の言葉だと思ってきた。誰かすごい人がそれを請け負って、私はそれに乗っかります、ってずっとずっと思い続けてきた。私みたいな人間が「リーダーシップ」という言葉を発するのもおこがましい。リーダーシップはあのすごい人が体現するものだって。

でも、自分で自分の人生の責任を取るしかないと言うことが、だんだんだんだん見えてきた。なぜ自分に自信がなかったのかがハッキリ今分かる。


誰かに何とかして下さいって言うんじゃない、私が私を何とかする。私が私の出来ることをしてこの状態を何とかする。少しずつ少しずつ、そう思えるようになった。たくさんの人のリーダーになるんじゃない。自分自身にとって最高のリーダーであること。自分に最高のリーダーシップを発揮してあげること。

まさか、スタエフを始めたことが、こんなにも自分自身と向き合うことになるなんて思いもしなかった。自分で情報を発信すると言うことは、思いもしない出会いに遭遇できるし、自分発見にもつながる。

そして、すぐに寄りかかる場所をさがし、あわよくばと思って、もたれかかろうとしてきた私から、自分の足で立って、自分の足で、たとえよちよち歩きのベビーステップでも、歩き始める方が、本当の意味で心地良いんだと思える自分に移行しつつある。


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