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人生の棚卸~残りの人生に向けて~

私はどうしてもお母さんになりたかった。キャリアに一切の興味がなかった。どんな仕事をしたい、どんな風になりたいなんて全く興味なく、ただただお母さんになりたかった。

幼いころ、ある大物女性漫才師を見て、面白いと思っていたのが、結婚を意識する年齢になってだんだん恐怖に感じるようになっていった。その女性漫才師以外にもテレビで活躍するいろんなキャリアウーマンを見て、キャリアよりも普通の女性の幸せが欲しい。ずっとずっと恐怖におびえていた。

ずっとこの自分の思考と向き合い整理したいとどこかでぼんやり思っていたけど、棚上げのまんまだった。2022年12月31日、自分の人生としっかり向き合って、人生の整理整頓をしたいと思い、英語の勉強も歴史の授業準備も今日は横において、気持ちの赴くままにyoutubeを見ていた。

そしてどうしても今日書き記しておきたいと思った。

自分の存在に価値があると思う人、日本にどれだけいるか?
「自分に満足している」「自分には長所がある」などなどの質問に対しての答えが諸外国と比較して低い数値結果が上がっている。

私はただただ結婚して子供を産み育てることだけにいつもどこか執着してきた。そしてその執着がバッサリ心から消えたときに今の旦那さんと出会えた。そして三人の子供たちに恵まれた。

だけど、よくあるおとぎ話のように、結婚してそのままお城でずっと幸せに暮らしましたとさ、では終われないのが現実世界だ。生きていくためには経済的な安定は必須。そして子供たちを一人前(社会に出て自立する)になるまでには、それなりのまた経済力は必須。子供が大きくなるにしたがって親として責任を果たさないといけない現実が見えてきた時、いつまでもお城で優雅に生活はできないという自覚を持つようになった。

そしてそこからやっとキャリアというものについて見つめるという、かなり遅いスタートだった。

ずっと守られていたんだという自分の甘さ、自分の無力さに何度も何度も打ちのめされ、自己肯定感はダダ下がりの連続だった。まだまだその渦の中から抜け出せないところは多々ある。

たくさんのyoutube動画を見た中で、これだ!と心の琴線に触れたからどうしても書き記しておきたくなった。

子供が3人出来ればいいなあ。そしてその夢もとうとうかなった。私がいなくても子供たちは生死にかかわることのないくらいまでに成長してくれた。もう自分の人生に対して悔いはないと思っている。あとはどう死と向き合うか、それがこれからの自分自身のテーマだと思っている。

私はうちに秘めておくことが苦手なので、家族には自分の思いは包み隠さずシェアしてしまう。特に、一番下の今年度小学校6年生の子は、いつまでもいつまでもかわいくて、そして頼りにしてしまっていて、私はついつい甘えてしまっている。彼女はまるで、私のメンターのように、多くの気づきの言葉を私に投げかけてくれる。

私は親として、本当に情けない。落ち込んでしまったらすぐに「お母さんもう消えてしまいたい」って言ってしまう。それを聞いた一番下の子は怒り出す。毒親も甚だしい私だと思う。(こうしてこんなことを書いて公にさらすのは、一種のデトックスと思っています。お許しください。)

私の場合、そうしてアウトプットすることで精神の安定を図っている側面もある。彼女は私にとって一番のメンターであり、コーチであるが、そこにのしかかってはいけないことも、自分で確認している。

ある朝、「ママ~」と娘の方からハグしてくれた。
「お母さんが昨日、あんなこと言ったから、起きてお母さんが生きてるか心配で早く起きてきてくれたんやね。」
「うん!」
屈託のない笑顔でうなずいて安心した様子の娘。
「ごめんね。あんなこと言って。でも聞いてくれて本当にうれしい。ありがとう。」

自分の存在に価値がありますか?そう聞かれて「はい」と答える人は諸外国に比べてかなり低い割合であると言われている日本。
でも、自分にとって大切な人っていますか?その人が亡くなったら悲しいなあって思う人っていますか?その人が、この世の中にいてるってことが、ただありがたいなあって思う人っていますか?
そう質問が切り替わったとき、何人かはすぐに即答できる。

ずっとずっと思ってきた。私なんかが生まれてきてごめんなさいって。私が存在していることが諸悪の根源くらいに思うこともあった。自分さえいなければすべてはうまくいくと本気で思ったこともあった。

ずっとずっとずっとずっと、心に詰まっていたものを溶かしていくきっかけとしたくて、どうしても自分の思いを公にさらしたくなった。

子供がまだ小さかった時、私がどうしても子供を家において泊りがけの用事があったとき、三番目の娘は私の服を枕カバーにくるんで「こうしてたらママの匂いがして、ママと一緒にずっといてるみたいだから」と出かける私に言ってくれた。娘が私に一杯教えてくれている。子供たちがもう手を離れていく今、そんな娘との思い出も支えとして、私は自分の社会的自立と、本当の意味での精神的自立を模索している。

これを書きながら胸が張り裂けそうになります。
どれだけ自分をないがしろにしてきたのか。

一番書きたかったことは、自分が誰かのことをその人が生きてくれているだけでうれしい、その人が息をしてくれているだけで嬉しいって思うってことは、自分のことをそう思ってくれる人が一人でもいるってこと。たった一人でもいてくれてるってこと。その顔を思い浮かべる時、じゃあ、どう生きていけばいいのか?ってことを自分に改めて聞いてみたくなる。

2023年、自分の指針とする言葉、自分を信じること。「自信」。そして自分を成功すると応援してあげられること。

人生の棚卸はそんなに簡単には終わらない。今日感じたことはほんの一端に過ぎない。その一端一端、見つけられた自分を「よし」とするところから始める。

自由にこのような投稿ができるnoteに感謝です。

去り行く寅年2022年に精一杯の感謝をこめて、サムネイル画像を選ばせていただきました。恐ろしい母(トラ:だけど本当はそんなに怖くない;笑)に、臆することなくまっすぐな心で寄り添ってくれる娘のイメージがぴったりで。



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