何も考えずにドアを開けたら怒っている白人さんが立っていて、血の気が引いた。

昨日の夕方。

突然ピンポンが鳴って、何も考えずに覗き穴も覗かずにドアを開けた。

(普段ピンポンが鳴るのはAmazonとか宅配くらいだ)

そしたら背の高い身体の大きい白人さんが表情も怖く、ワナワナして立っている。

やばい…

気軽にドア開けたらあかんかった… 

一気に心臓が高鳴り、緊張した…

夫は家にいなかった…

思わずドアの方へ飛び出してきた娘を右手で捕まえた…

その男性はゆっくり話し始めた。下の階に住んでる人だった。怒鳴りはしなかったけれどめっちゃ怒っていた。。。

英語だから全部はわからなかったけど、とにかく耳を傾けた。とりあえずクレイジーだからなんとかしろと。下の階の人だとわかって何かされるのではないって少し緊張は解けた。

(そんな保証はどこにもないんだけれど。。このコロナ禍で治安もかなり悪化しているし。。)


いつも体育(オンラインね)の授業をサボりにサボっていた息子がめずらしく昨日はめっちゃ本気でやっていた。ジャンプしたり、走ったり。

ココは3階だけど今まで6年住んでて下から苦情は来たことはなくて、わりと私たち親も何も言わず自由にしてた。アメリカって子供に寛大だなぁなんて思いながら。

(昨日noteで体育で「縄跳び」しても苦情が来ないって書いたばっかりだった。。苦情が来たことがある友人の話を聞いたことはあったけれど。)

特に最近は兄妹で遊ぶようになってきて、ますます二人が家の中で走り回る。すごく楽しそうで、兄にとっては唯一生身の子供とコミュニケーション取れるわけで、微笑ましかったんだけどな。。


その人が来たとき、わたしは表面上はとっても冷静だったんだけど、心の中はいろんなことがクラッシュしていて、本当はすごく動揺していたんだと思う。

ドタバタやめてくれっていうその人の目の前で娘が「お客さんだぁー♡」なんて無邪気にまたドタドタ走り回ったりしていて。。

(アジア人が9割のアパートで【怒った白人男性】が立っていたっていうのがわたしの中で緊張が倍増していたのにも気づいた。わたしが女性だということ、アジア人だということ。もし相手がアジア系の女性とかだったら、また受け取り方や心境は全然違っただろう。)



その後、わたしはなぜかすごいイライラし始めた。ちょっとジャンプしたら怒って、ちょっと走ったら怒って。とにかく夫が帰ってきてこの話をするまでずっとイライラしていた。ちょっとわけがわからない状態、とにかくイライラしていた。

そこには悲しみもある気がするし、ショックも受けているし、それがイライラになってるのかな…? その辺りまでは気づいている、でもそれ以上深く自分と向き合うスペースはなかった。

(こういう時、深呼吸が大事だね。でもこの時はそれを思い出すこともできなかったな。。)

コロナでうちも下の人もお互いに家にいる状態。

今までもドタドタしていたし、もしかして我慢してくれていたのかな?
今日の体育の授業の激しさで限界が来たのかな?
この数年にどんな人が下に住んでいたのかわからないけれど、この人はもしかしたら引っ越してきたばかりなのかな?

こんな時だからこそ、静けさやリラックスして過ごしたい下の人の気持ちもとてもよくよくわかる。そして、子供たちの家生活での遊びや楽しみももちろん大切にしてあげたい。

そんなことがぐるぐるぐるぐる頭を回る。
心は落ち着かず、イライラしたままだった。

「どうしたらおじさんも静かにリラックスして暮らせて、リンとカエデもお家で楽しく過ごせるかなぁ?お母さん、どっちも大事にしたいから、今なんかショックだし、どうしたらいいんだろーって困ってるの。どう思う〜?」

と子供たちに聞いたら、息子は「子供だからしょうがないじゃん。うちの上もドンドンしてるじゃん。お互い様でしょ。子供だったら家の中でも走って遊びたいよぉ〜。」と困った顔で嘆いた。

うんうん、わかるわかる。そうだよねぇ。気軽に外も行けないんだし、自由に身体動かして楽しく過ごしたいよねぇ。下のお家には子供がいるのかなぁ?


娘は「走る時は外に行けばいいじゃん。」と。

それもいいね。「走りたい時には外へ」昼間だったらできそうだ。ただ、ココは子供たちだけで外に遊びにいくことはできない国、わたしもその都度、一緒に行かないといけないのか…

そんなちょっと自分でも整理できなかった状態を、NVCの友人たちにまとまりなく、そのまんま支離滅裂で投げさせてもらったんです。


すると、友人たちから返ってきたこと。

「みゆきちゃん、怖かったよね。​」
「みゆき、話してくれてありがとう。あたしも、みゆきは怖かったんやろなぁって思った。。」

この二人の最初の言葉に、心の奥からぐわって何かが上がってきて、涙が出てきた。

そうか、わたしはとにかく怖かったんだ。

男性で、
大きな身体で、
怒った表情をしていて、
英語で全部理解できなくて、
夫もいなくて、
瞬時に小さな2つの命がわたしの背後にあることを感じて、
怒られている時にも、無邪気に走り回る娘のことを思わず心の中では「今走るんじゃねー!笑」って笑いそうになったんだけど、それも笑うことでなんとか怖さをごまかそうとしていたんだ。

友人があるNVC講座を受けたときのことを教えてくれた。

「母親は瞬間的にアドレナリンが出て、対応ができる。だけど、少し落ち着いたときにそこで感じた怖さに、自分で思っている以上によくよく自己共感してあげるのを忘れないでね。少し落ち着いてからイライラが湧きだしたり、動揺した行動になってしまったことにも、きっと、そこに繋がってるのかなって。​」

と。

とにかくお母さんはとても怖かったんだっていうこと、ただただその事実を、自分の中にある「怖かった」という気持ちを受け止めて、寄り添ってあげること。

うんうん、そうだよね、そうだよね。


​そこでもう一つ「旦那さんや子供に共有してもいいかもね」って言われて、ハッとしたのは、

不安にさせちゃいけない、
母は強くないといけない、
弱音を吐いちゃいけない、

そんな風に子供たちには母の「もろさ」を見せてはいけないって思っている自分がまだいるということ。

そこに良い悪いはなくて、そんな自分がいるっていうことに気づくことが大事で。その時は、もろさを出さないことで何か守るものがあったんだっていうこと。

「もろくていい」って自分で書いてたりするんだけどね↓(笑)わたしのnoteはわたしへのメッセージでもあるからね。


「子どもたちが動き回るたびに気が張るというか落ち着けない、安心できない。コロナで外出できないのに更に安心して生活するというニーズが満たされないよね。」

そう、そうなの。

そもそも安心して暮らせていないのに、家の中すら安心できなくなって、気を張り続けるとなると、そらわたしも心の平安を保てないわけだ。


《友人たちからたっぷり共感をしてもらって気づいたことの振り返り》

・子供たちはこうだ、あの人はあぁなんだ、などど思考ばかり働いてた。自分の気持ちは放ったらかしていたので、【イライラ】というカタチで心は「気づいてー!」と表現してくれていたこと。

・「怖かった」っていう母親を見せたらいけないというか、見せられない自分が共にいるということ。

・相手のニーズに瞬時に思いやりを生むことができる分、どうしても自分が後回しになることがあるから、やっぱり後になってもしっかりしっかり自己共感が大切だということ。

・そして、それは一人ではなかなか深いところに辿り着けないことがあって、吐き出すこと、誰かが寄り添ってくれることが本当に大きな大きな助けになること。


身体中でクラッシュしまくっていた何かがとっても交通整理されて、一つ一つに目を向けてあげられたような感覚になりました。

新年早々&まだ日本は冬休みやのに、ほんまにありがとうやで!感謝♡


では、みなさんもハートフルな一日を♡

また明日ココで♡

循環が循環を生むのがすきです。サポートしたいただいた循環を、文字で循環していきます♡