「〜するべき」から「願い」を先生と生徒が伝え合える対話の学校へ

昨日の、

【先生たちが本当に自分を大事にして幸せにならないと、子供たちにも提供できない。】

のつづきをアウトプットしていきます。

(※昨日のnoteから読んでいただけたら、わかりやすいかと思います♡)


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(つづき)

リーダーがどれだけ自分自身の心と向き合い、自分の考えや言動を振り返り、気づくこと(内省)ができるかが大事。

(ここでのリーダーは、学校に対話を取り入れようとした校長先生や先生たちのこと。)

相手を責めることでもなく、自分も責めないこと。

【反省】というのは【自分を責める】、自分を責めるというのは【自分が縮こまる】。怖くなる、失敗できなくなる、挑戦しなくなる。

リスクもないけど【らしさ】も減る。

反省ではなく、ただ「内省」する。
自分の中にある「〜するべき」「こうあるべき」に気づいていくこと。

先生たちはクラスがうまくいかないと、いつも反省している。すべては担任が責められる。先生がアタリ・ハズレと言われたりする。。

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ガーーーーーン。。おっしゃるとおり。。この「アタリ・ハズレ」ワタクシ心当たりがあり、超反省しました。

いや、反省じゃなくて【内省】をします。笑

・学校の先生は子供たちがみんな楽しく通えるようにするべき。
・先生は経験値があるべき。
・話しやすそうな先生、明るい先生であるべき。

(※わたしの「アタリ・ハズレ」にある「べき」に気づきました。これは、後半でさらに奥まで掘り下げます。)

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(セッションのつづき)

東大大学院の教育学研究員の方が、この場にもいらっしゃって、葵小学校の論文を書かれているとのこと。その一部を紹介してくださった。

・正直に話すことのハードルが下がり、相手の感情・ニーズを考えられ、ポジティブな関係性になった。

・他の人の考えを受容的に考えられるようになった。

・自分の中に起こっていること、相手の中に起こっていることを考えるようになった。

・児童の言い分をまず受け止めることの大切さ。

頭ごなしに指導することが減った。共感的なコミュニケーションによって、子供の奥にあるニーズが見えるようになった。

・子供たちもお互いに聞き合う、認め合うようになった。

保護者とも対等な立場でどう学校をつくっていこうかと話し合える。

(すごいーーーーー!!!「対話する学校」という論文にしているものが、今度本が出るそう。興味ある!!)

「まずは自分が大事だ」ってことを三年かけてやってきたんだって。。その覚悟がすごい。。


《人や組織が進化していく二つの要素》

① 力(Power)

「成長だ!」
「拡大だ!」
「達成だ!」
「実行だ!」


と、どんどんいきすぎると、人と競争させたり、グループを分けたり、その乗らないと… 切られたらどうしよう…などの【恐れと分断】を生まれてしまう。

② 愛(Love)

「受容だよー♡♡」
「つながりだよー♡♡」

も、いきすぎると、みんなの意見をぜーんぶ聞いて受け入れてってしていると【停滞】してしまう。


① の力(Power)には、

【する力(自分の力で実現する力)】
【させる力(思い通りにさせる力)】がある。

② の愛(Love)には、

【受容(ありのままで受け止め合う)】
【諦め(諦めて現状を受け入れる)】がある。

①の力の使い方がわからないと【受容(受け入れること)】がこわかったりする。でも自分のニーズがわかれば、【受容】の上で【する力】につなげることができる。


この二つは国も、社会も、学校も、組織も、
行ったり来たりしながら成長していく。

(例)アメリカの大統領

オバマ大統領(受容)
 ↓
トランプ大統領(パワー)
 ↓
バイデン候補(癒し・対話の政策)

パワー系からまた受容系になってきているのでは?

(おぉ。。わかりやすい。。。ニュース見ないからアメリカにいて気づいていない人。笑)



学校は「べき」だらけ。
みんな根っこに「べき」がある。
社会の暗黙にある「べき」。

・マスクをすべき
・常に向上して上を目指して努力するべき
・大人の言うこと聞くべき
・子供は元気よく外で遊ぶべき
・時間は守るべき
・家庭より仕事を優先すべき
・友達をたくさん作るべき
・目上の人を敬うべき
・女性は家事をすべき
・男性は家庭を養うべき

学校はこういう「べき」を教えようとしている。
先生にも保護者にも「べき」がある。
一人一人にもそれぞれの「相手はこうあるべき」「わたしはこうあるべき」を持っている。

でもそのたくさんの「べき」がなぜあったかと言うと、「こうしたら社会でうまくやっていけるよ」「失敗しないよ」って守るための教えだった。でも、いつの間にかそれが呪縛になり、私たちを苦しめてしまっている。

「べき」では対話ができない。

そのためには「べき」に気づく、自覚する。
そして「べき」の奥には「願い(ニーズ)」があるところまで気づく。


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では、前半に書いたわたしの「べき」を「願い」まで深く気づいていきます。

《学校の先生に対して「アタリ・ハズレ」と思う、わたしの「べき」》

・学校の先生は子供たちがみんな楽しく通えるようにするべき。

→子供に楽しく学校生活を過ごしてほしい。辛い想いをさせたくない。

→子供たちの安心と心身の健やかさを願っている。


・先生は経験値があるべき。

→経験値がある方が、子供たちのことを理解してくれているんじゃないか、学びにも豊かさが生まれるんじゃないか。

→わたし自身の安心と、子供たちが理解してもらえること、学びや成長のサポートをしてもえることを願っている。


・話しやすそうな先生、明るい先生であるべき。

→先生には困った時に気軽に相談したいし、明るくて話しやすそうな先生だと言いにくいことも言えそう。

→子供が何か学校であったときに、支えてもらいたい、サポートしてもらいたい、安心してコミュニケーションがとりたい、正直に話しても受け入れてもらえることを願っている。


ハイ、出てきました♡
わたしの愛おしい「べき」たちの奥にある、わたしの愛おしい「願い」たちが♡


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(セッションの続き)

「べき」には「正しさ」があり、
「分断・対立・強制・支配」などを生んでしまう。

「正しさ」ではなく、
ただ大切にしたい「願い」を分かち合えたら、
「共存」ができる。

今まで教育は「正しさ」からきていた。
強制、支配、恐れの教育・子育て。

正しさは「させる力(思い通りにさせる力)」になる。

「手をあげない子に手をあげさせたくてイライラする。」
(手をあげて発言するべき

→ 手をあげることで何が満たされるの?

「もっと子供たちに自己表現をしてほしいんだ。」
(大切にしたい願い


ここに気づけた今、

「一人一日一回は手をあげなさい!」

から、

「自分を表現することを先生はとても大切に願っているんだ。そして、安心して自由に表現できるクラスにしたい!っていう願いがあるんだよ。」

という願いを子供たちを分かち合うことができる。

正しい・願いはコインの裏表のようなもので、どっちに立つのは自分で選択ができる。そしてどっちを選択しているのか自覚できる。

どんな願いがあるのか、なにが満たされるのかを、ただただ分かち合う。

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以上、渋谷聡子さん「ファミリーコンパス」という学校に対話(NVCの世界観)を取り入れる活動をされている方のお話でした。


あーーーーーー、、、すき。笑

アウトプットしていても、最高にワクワクするし、楽しい!!

先生たちがそんな風に生徒と対話をしているということが、現実に起こっていることがもう希望だし、それが一つ二つと増えているなんて。。


あーーーーーー、、、すきすき。笑


【どんな願いがあるのか、なにが満たされるのかを、ただただ分かち合う。】

それだけで見える世界が変わってくるし、自分や相手の言葉の奥にも気づくことができるし、周りも何かしら感じてくれるものは必ずあると思っている。

それが人の心と心をつなぎ、人生に豊かさを生む。

もちろんそこに行き着くまでは時間がかかったり、たくさんの「痛み」もあるんだけれど、それでもわたしはこの世界観で生きていきたい。世界に広がってほしいの願うのです。(もう広がってきてるけどね♡)


あーーーー、希望しかない♡


渋谷さん、チームの皆さんのこれからの活動から目が離せません♡ありがとうございました♡

では、うちの学校でもやってくれないかな?と思う、先生・生徒・保護者が一人でも増える一日となればいいなぁという願いを込めて♡

では、また明日ココで♡

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