よろこびと希望、こわさと戸惑い。
カリフォルニアは、
ガチガチのロックダウン一年から、
一気に緩和。
わたしは戸惑っている。
どこもかしこも一気にコロナ前のようにみんなが過ごしている。
まるで一瞬で忘れ、何もなかったかのようにも見える。
人間は忘れる。
でもこの一年、大人もだけど、子供たちの心にも人生にもどれだけ影響受けたか。
息子が昨日はじめてサッカー教室へ通いをはじめた。
「楽しい!」と本当にうれしそうだった。
何が楽しかったかって、
サッカーそのものというよりも、
「みんなとできたこと!」
だった。
何かを思い出し、ムクムクムクムクーと喜びが溢れ出てきているのが、わたしたちにも伝わってくる。
ホッとしたし、うれしかったし、と同時に、この一年を思うと胸の痛さと込み上げるものがあった。
8歳の彼が友達に会ったのは、この一年ほんの数回。
それも大人が決め、わたしたち親もその選択をしていたということ。
正直、わたしたちも初めてのことだらけで、どうしたいいかわからなかった。
躊躇わずに子供同士は遊ばせようよ!っていう強いハートも持ち合わせていなければ、そんな発想にもならなかった。
わたしたち親にもケアが必要な状況だった。
今回サッカーを通して、同い年の子達と体をぶつけて触れ合うことで、何かムクムクムクーと思い出している。
こんな当たり前のことが、こんな自然なことが、不自然な一年だった。
コロナでロックダウンが始まり、突然学校が閉鎖し1ヶ月ほど経ったとき。
穏やかだった息子は一日中奇声をあげていた。
見たことのない姿だった。
ただただハグ…
ただただハグ…
言葉にならない彼の悲鳴を、わたしもいっぱいいっぱいの中、ただただ抱きしめ、ただただ受け止めた。
わたしもなにを声かけたらいいのかわからなかった。
友達の子供たちも奇声をあげているって何人かから聞いた。
それが今、一気に緩和されて、学校が突然数日後に再開する方向で進んでいる。
よろこびとともに、少しこわさもある。
コミュニケーションが子供たちが一方的になっているのは、友人と数回あった中でひしひしと感じた。
みんなずっと自分の話をしている。
会話になっていない。
もちろんそこは子供だけにすぐに思い出し、修復されていくとは信じている。
でもしばらくは先生も大変かもしれない。
そして、学校へ行くのは選択制。
生徒は50%だけ受け入れられる。
不要不急の仕事に親がついているかなど、調査があった。
学校へ戻ることが優先されるからだ。
うちは学校に戻る方を選んで、一応優先される職業だったので通えることになった。
それすら大人が選ぶ。
通いたい!!って願っている子が、もしかしたら親の仕事によっては通えないこともあるかもしれない。
もしくは通わせたくないっていう親がたくさんいたら、うちの息子のクラスはほんの2、3人かもしれない。
先生一人でどうするの??
今までのオンライン授業を半分は学校で受け、半分は家で受けるというシステムだ。
学校に行くというだけで、今までと同じみんなパソコンを前にオンライン授業を受ける。
それでも友達が同じ空間にいるというだけで、全然違うだろう。
できるだけたくさんいてくれたらいいなってわたしは願うんだけど。
でも、家から受ける生徒は学校にいるメンバーをみて何を感じ、どう思うんだろう。
行きたいってならないのかな?
親の考えによっては怖くて来れないっていう子も、もしかしたらいるかもしれない。
なにが正解もないし、どっちがいいとかわるいとかもない。
ただ、わたしたちは子供が友達と触れ合うこと、コミュニケーションが取れること、同じ空間でただただお互いに存在を感じること、というのを選んだ。
これからどうなるだろう。
よろこびと希望、少しのこわさと戸惑いも大切に抱えながら。
ゆっくり、慌てずに、少しずつ、少しずつ。