見出し画像

【自己紹介】とある心理カウンセラーからあなたへ

皆さん初めまして。葦原詩織といいます。アラサーの心理カウンセラーです。
私は、重度の鬱病とパニック障害から、心理カウンセリングの力で立ち直った経験があり、故に、カウンセラー職を志しました。

お忙しい中、この記事に目を留めて下さった方、ありがとうございます。

自己紹介として、私の経験を少しお話しさせていただけると大変嬉しいです。




私は、大学生時代に、家庭環境の悪化や恋人からのモラハラ・DVのため、重度の鬱に陥りました。それまでは、「精神疾患なんてただの甘えだ」なんて思っていました。

頭が働かない、文字が読めない、今まで出来ていたことができない…
身体が動かない、ベッドからも起き上がれない…

加えて、幻覚や幻聴症状もありました。確かに私の耳には聞こえ、目には見えているのに、私以外のみんなが存在する世界には存在しない。誰に相談しても、わかってもらえない。「頭がおかしい」と陰口を叩かれ、友人は波が引くように離れていきました。


孤独でした。


その後、意を決して精神科に通院し始め、抗鬱薬を処方されます。最も鬱症状がひどい時は、7種類ほど薬を飲んでいたと思います。
それでも頭の中の声は止みません。当時、「死ね、死ね」と私の頭に声が響いていました。

もう眠りたい。考えたくない。誰かこの声を止めてほしい。

縋るような気持で、持っていた薬を大量服薬しました。いわゆるオーバードーズ(OD)です。ただ、幸い、一命を取り留めました。このとき冷静に対処して下さった医療従事者の方に、今は本当に感謝しています。

鬱症状が酷いということで、薬がより強いものに変わります。その中で、ようやく自分に合う薬が見つかりました。思考も明快で、体も動きます。私はこの薬のお陰で、休学していた分の勉強の遅れを取り戻し、無事大学卒業し、憧れの大手一流企業へ就職することができました。
…ただし、今考えると、これは躁転(鬱状態から一転してハイな状態になること)に近い状態だったと思います。明朗な心身と引き換えに、買い物依存と、性依存症を併発していました。


クレジットカードの限度額ぎりぎりまで度を越して買い物してしまう。その癖、買った商品を家に持ち帰ると興味を失ってしまう。
男性への依存心。実家に帰りたくないため、SNSやサイトで知り合ったばかりの見知らぬ男性の家を渡り歩いていました。当然、酷い目にも怖い目にも遭いましたし、お金をだまし取られたりすることもありました。恋人は一日たりともいなかった事はありません。何か縋るものがないと生きていけなかったのです。どんなに酷い事をされても、愛されていないと分かっていても、縋る事しか知りませんでした。

また、鬱再発の不安から、ワーカホリックになっていました。
幻覚や幻聴、妄想等の体験から、自分の思考や感覚に全く自信が持てなくなっていたのです。異常なほどに自分の成果物の内容が間違っていないか、確認するようになってしまいました。緊張で肩や首が全く動かなくなるほど、それを毎晩終電を逃してまで。
当然、体と心がそのうち燃え尽きて、全く動けなくなりました。

薬を飲んでいても、鬱やパニック障害は再発するのです。薬は症状を和らげることはできますが、原因となっている認知の在り方までは当然治してくれません。
・薬の力でマインドと身体は動いても、根本にある認知のゆがみや孤独感は、服薬でどうにか出来るものではない
・再発を抑えるには、世界や自分への捉え方自体を変える必要がある
という事に気づくまでに時間がかかりました。


それからは、様々なカウンセリングを受けました。
CBT(認知行動療法)、ヒプノセラピー(催眠療法)、芸術療法、…スピリチュアルにも傾倒していた時期があります。
国家資格のあるカウンセラーにもセラピーをお願いしましたが、その先生とは相性が合いませんでした。勇気を出して話しているのに、受け入れてくれませんでした。冷ややかな声でした。
「常識的に考えて、その行動はだめだよね。人間としてどうかと思うよ」
そうありたくとも出来ないから病気になっているのに、あんまりだと思いました。嗚咽しながらセラピールームを退出したこともあります。当時の私にとって、正論ほど恐ろしいものはありませんでした。

心に踏み込まれるのは怖い。
心に踏み込んでいくのも怖い。
他人も自分も何もかも信頼できない。
治療を諦めようかなと思っていた矢先に、一人のカウンセラーに出会います。これこそが起点でした。真のカウンセリングに出会ったのです。

自分の人生やものの考え方にパラダイムシフトが起きました。これまでの苦しかった経験の一つ一つを私が語り、私でない人間に受容してもらう。それは、他人や世界、或いは私への信頼感を取り戻す作業でした。

聞いてもらえる喜びと、受け入れてくれる安心感。
語り、表現することによる葛藤の受容。
なぜ私は生きることがこんなにも苦しかったのか、新たな解釈を加えるための自己探求の旅が始まりました。

当然、つらい記憶に立ち戻ることは苦しいことです。ただ、解決しなかった内的問題や葛藤は、半永久的に残り続けるのです。その出来事が五秒前だろうが五日だろうが五年前だろうが、たった今刃によって傷つけられたかのように、痛むものです。記憶には時間軸という概念が存在しない場合もあります。忘れられない記憶、誰にだってありますよね。

人間には苦しむ権利もある。間違える権利もある。
そして、その苦しみや痛みには全て個人的な内的な意味が隠されている。それを巡る旅は決して楽なことではないでしょう。ただしこの世に魔術のような心的治療は存在しないのです。自己探求の旅こそが、新たな解釈をあなたに、本当のあなたを気付かせる道しるべになることを、私は信じています。



今、私はたったの一つの薬も飲んでいません。
会社も辞め、好きな時間に好きな場所で、カウンセリングの更なる研鑽に励みながら、好きな仕事をあれこれやって生きています。

私は、自分ひとりだけだったら、自分と向き合う事は難しかっただろうと思っています。
当時の私には、カウンセラーという名の伴走者が必要でした。
また、私は、クライアントだった経験があるからこそ、カウンセリングの可能性を心から信じています。何より自分自身がここまで立ち直ったという実績を目の当たりにしてきました。

そして、何より、私の苦しみや悲しみや孤独は、きっとあなたに寄り添うための土壌として必要だったのだろうとも思えます。

今度は私にあなたとの伴走の機会が与えられるのならば、こんなにうれしいことはありません。


ここまでお目を通してくださってありがとうございます。
あなたの今日一日が、人生が素晴らしいものでありますように。

これからも心理系の情報を都度発信できればと思いますので、よろしくお願いいたします!

葦原詩織

--------------------------------------------

↓カウンセリングは現在LINE・ZOOM・hangout・電話等の各種ツールで受付ております。以下メールアドレスまでお気軽にご連絡ください。
期間限定で60分3,000円の低価格で提供しています。

ringo672000@yahoo.co.jp



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?