見出し画像

ひきこもりは旅に出て、まだ生きようと思った

【文字数:約8,200文字】
お題:#創作大賞2024、#エッセイ部門



 いつかの出会い


 仕事帰りに出会ったその人は、下を向いて私に言った。

「家には……帰りたくない」

 けだるい週末に辿り着いた夜の改札にて、次が終電だと告げるアナウンスの直後であるならば、ラブソングを背景にした恋愛ドラマが始まるかもしれない。

 残念ながら現実は静けさばかりが主張する、ロマンや見所を探すのが難しい町の一角に過ぎなくて、相手の表情は心なしか恐怖におびえているような気がした。

 そこで帰りたくない理由を訊ねるほど無神経ではないから、私は周辺の地図を頭に思い浮かべながら、

「この先の警察署で相談してみたら?」

 おそらく模範的と言って間違いない提案をして返ってきたのは、

「警察も……ちょっと……」

 明らかに苦しげな顔で訴えている相手に対して、見ず知らずの他人が相談に同行するといった、親切心の押し売りをできるはずもなく。

 他に頼れそうな団体や取り組みなどを提案できたかもしれないのに、そのときの私は存在として知っていた家出少女、あるいは女性を前にして立ち尽くすばかりだった。 


 自分の家が安らげる場所でないとき、子供は生きるために家出をするらしい。

 私の両親は日常的に暴力を振るうだとか、すべてを宗教に捧げるとかもなく、たぶん社会の大多数を占める普通の人間だ。

 そんな家庭で育った私にとって、家出をする子供がいることは衝撃だった。しかし思い返してみれば、同じ教室で過ごした同級生の中にも気配のようなものがあったし、見えていないだけで存在していたのだと思う。

 そうして様々な事例を知ると、子供が所有物として扱われているような場合もあり、人間らしく生きるためには家を出るのが最善だったに違いない。

 

 私の出会った家出少女、あるいは女性に声をかけたのには理由がある。

 強く降っていた日中の雨が弱くなり、湿った空気へと変わった仕事帰りの道すがら、雨やどりしている人を見つけた。

 シャッターの下りた店の軒先に座りこみ、女性と呼ぶには幼く見えて、少女とするには大人びたその人は、荷物を2つだけ持っていた。

 どこかの家具店や倉庫みたいなスーパーで配っていそうな、デザインよりも丈夫さが取り柄の肩かけバッグを下に置き、その隣には2泊くらいで使う旅行用のキャリーケース。

 これから歩きで駅へ向かうには遠く、旅行帰りの充実した疲れで座っているわけでもなさそうだ。

 飾りみたいな小さな軒は、店がまだ営業していたなら雨よけとして有効だったのかもしれない。だけどシャッターの下りた状態では意味がないだろうし、たまたま偶然そこにいただけなのだと思う。

 その人が遠くから視界に入っていた私は始め、「どこか痛むのですか」と訊ねてみる。

 多少なりとも人通りのある道で倒れているならともかく、そうでもないのにわざわざ声をかけるのは、あまり大声では言えない目的のある人間かもしれない。

 それでも私は声をかけた。

 失礼であることを承知で書くけれど、その人の表情は捨てられた犬や猫みたいで、斜め下に落とした視線で何を見るわけでもなく、まさしく「途方に暮れる」と呼ぶのが適切だろうか。

 その姿に私は、過去の自分を重ねていたのだと思う。


ひきこもりだった私


 2022年11月に実施された国の調査によれば、仕事をしておらず、自室や家から半年以上ほとんど出ることがなく、趣味以外で外出しない15~64歳の「広義のひきこもり」は全国に146万人いるらしい。

 期間が数ヵ月だった私はその中に入らないけれど、たしかに「ひきこもり」と呼ばれるものだった。

 心身の不調による退職と再就職の失敗。それが私のひきこもった理由だ。

 昼と夜の感覚は消え、ひたすら横になって眠気を待つだけの生活は、さほど苦しくなかった。代わりに冬から春までの記憶は曖昧で、気がつくと数ヵ月が過ぎていた。

 人が生きるのに希望は必要だけれど、それが必ずしも電車に乗れる切符になるとは限らない。

 就職には切符についた色の理由を説明しないといけなくて、正直に返すと紙くずになり、ウソをつけば特急電車に押し込まれる。

 説明不要のICカードには非対応だし、各駅停車に乗りたいと頼んでも断られるなら、いったいどうすればいいのだろう。 


 乗るはずの電車を見送って、駅のホームにあるベンチに座っていたことがある。

 朝の通勤時間帯を過ぎればホームと心の両方が穏やかになり、途中まで来られたからと言い訳ができる。不思議とそのあたりから、ホームに入ってくる電車が呼んでいるような気がした。

 だから電車は今も苦手で自転車をよく使うし、人生の節目であることを理由にして、ペダルを回さなくていい二輪車の免許を取ったのも無関係ではないと思う。

 スロットルレバーを回すことでエンジンの回転数を上げ、ガソリンを消費しながら疲れを感じずに走り続けられる二輪車は、人間の行動範囲を劇的に広げてくれる。

 それでも私は生きるために自転車で旅した日々を、今も鮮明に思い出す。

 

 日本の最北端となる宗谷岬に着いたのは、短い北海道の夏後半だった。

 それなりに健康で腐っている時間は売るほどあるけれど、お金とコミュ力のない人間が使える移動手段は限られる。

 どこまでも1人で走れて燃費が良く、免許もいらない最強にエコで自己完結な乗り物。それが自転車だ。

 自宅のある神奈川から北海道まで、およそ1,500kmの道のりを1ヶ月半かけて辿り着いた頃には、細い手足に筋肉の張りが生まれ、ロウソクのように白い肌は太陽に焼かれていた。

 旅に出る前年まで「ひきこもり」だった人間の面影はなく、あのときの私は旅の途中で死んだのかもしれない。

 本音を言えば辿り着かなくても良かった。

 旅の途中に不慮の事故などに遭うことを願いながら、体づくりや道具集めといった準備に1年かけ、私は最後になるかもしれない旅を始めたのだった。


後ろ向きでスキップ


 寒さが遠のいて新緑が両目を焼く春は、もしかして自分も生まれ変われるのではと期待させる。

 草花や木々ができるなら、自分にだって。

 根や葉を持たない人間が自信を得るにはウソが必要で、求めなくても湧いてくる不安や焦燥から目をそらし、できるかもしれないと自分を騙すことから始まる。

 残念ながら人間は生まれ変われないため、喉に刺さり続ける過去の痛みを別の何かで忘れなければならない。

 それはマンガやオンラインゲームかもしれないし、あるいは自転車を選んだ私のような人間もいる。

 近所の散策から始め、隣接する市町村から都県へと距離を伸ばし、最終的な目的地としたのが北海道は宗谷岬だった。

 ひきこもりの天敵とされる太陽に当たりながら、限界まで体を動かすほどの健康的な趣味を持っているのなら、自称ひきこもりのアスリートではと思うかもしれない。

 しかしそれこそが虚構であり、変わっていく景色に意識を取られ、追いかけてくる過去の痛みから逃れたくて走っていた。

 肌を撫でる季節の風は現実に違いないけれど、どこか体験型のVRに興じているような気分で、外でゲームをするのと本質は変わらない。

 疲れて足を止めてしまえば、楽しいゲームの時間は終わってしまう。逃げていた現実がまとわりついて、二日酔いみたいな不快な怠さが襲ってくる。

 走行距離を伸ばし、自分なりの記録を更新しても過去の記憶は消えないし、いつか家には帰らないといけない。

 だから走って、走り続けて、逃げきりたくて家を出た。

 結果としてそれが旅と呼ばれるものになっただけで、そのときの私は仕事帰りに出会った家出少女、あるいは女性と同じ顔をしていたかもしれない。

 

 ある目標を定めた人間は、その達成に何が必要だろうかと考えて、自分でも信じられないような積極性を手に入れる。

 死ぬ気になれば何でもできるらしく、後は野となれ山となれをセットにすれば最強だ。

 もちろん人に使うのは問題のある言葉だけれども、自分に対してなら条件付きで賛成できる。

 自殺のために具体的な方法を調べて道具を準備するように、関東から北海道までのルートを検討し、資金作りのためにアルバイトを始め、長旅に耐える体づくりと並行して自転車の整備知識を学んだ。

 後ろ向きでスキップをするような日々は充実しており、1歩ずつ目標に近づいているという達成感は、まとわりついてくる痛みに気がつかなくて済んだ。

 ほの暗い目標をそのままどこかに置き忘れる未来は、不思議とそのとき頭に浮かんでくることはなく、他に方法はないのだと決めつけることで精神を保っていたのかもしれない。

 外から見れば前向きな変化を両親は喜び、やがて社会復帰につながると安堵したけれど、私の内側で燃えているのは黒い炎だった。

 

 私の両親は今では珍しくもない共働きだったけれど、育児の負担によって母が退職してからというもの、まるで自らの代わりであるかのように勉強することを強制された。

 さほど裕福でもないのに塾や家庭教師を頼んだものの、子供の要領の悪さなのか上手くいかないと悟った母は、せめて社会が規範とする「正しい人間」になることを期待した。

 高校大学を卒業して社会人となり、やがてパートナーを見つけて結婚し、孫を連れて戻ってくる。

 正しい人間を育てた自分の人生には価値があった、意味があったと思いたい姿勢が透けており、それに応えられない私はダメな子供だから、登校拒否をしようものなら甘えどころか罪だとして叱責される。

 父は仕事で稼いで役目を果たしているし、子供のことは母に任せているから関係ないとの立場で、お互いを支え合うような姿勢はない。

 期待外れだからと日常的に暴力を振るうことはなく、愛がなくとも離婚せず形ばかりの家族を続けたのだから、たぶん総合的に見れば良い両親なのかもしれない。

 そんな彼らとは生まれたときからの付き合いなわけで、両親が親になった年齢を越えた今なら、それぞれに努力や葛藤があったのも理解できるし、厄介者として子供を捨てなかったことは感謝している。

 それでもたまに考える。

 幼い頃に少しでも子供の心に興味を持ち、自分の理想を押しつけることなく、目の前の人間を大切にしてくれたなら、今現在の私にはならなかったのではないか、と。 


私だけの宝石


  アルバイトで旅の資金を作るにしても、観光目的の旅行よりも長くかかることは明白で、常にホテルで泊まれるほどの余裕があるはずもなく。

 『天気の子』の主人公、森嶋帆高はネットカフェを利用することで出費を抑えた一方、『新世紀エヴァンゲリオン』の主人公、碇シンジは雑居ビルの合間で夜を明かす。

 近年の旅人は帆高のようにネットカフェ利用が多い印象で、公園や地下道といった公共空間を占拠するのは迷惑だし、野宿そのものが褒められた行為ではない。

 それなら迷惑だと思われないよう、そこにいるのだと知られなければいい。

 具体的には暗くなってから場所を確保して、明るくなる前に立ち去る。

 日没が遅く日の出が早い夏においては、だいたい夜10時から翌日の4時あたりが狙い目で、朝の散歩を楽しむ人たちに爽やかな挨拶ができると最高だ。

 こちらから声をかければ返してくれる人が多く、一晩の礼として周辺のゴミ拾いをするのも楽しい。

 もちろん場所を間借りしていることを忘れてはいけないし、以前よりも防犯意識が高まっているように感じる昨今、野宿をするという選択肢は消えていくのかもしれないけれど。


 各地で野宿をしていく中で、たまに先客がいた。

 ブルーシートを屋根や壁に使い雨風をしのげるよう工夫した小屋があったり、筒状にしたダンボールの中に入ったり、地下道などにそのまま敷く人もいる。

 キャンプの趣味を持つ私からすると、自分なりの生活空間を作る姿が「たくましい」と感じるのだけれど、都市部においては関心を持たれることが少ない。

 彼らは定職につかず風呂に入らないから不潔というイメージがある一方、ひきこもりも定職につかず風呂に入らない場合が多い。

 ひきこもれずに家出して、ネットカフェやSNSつながりで他人の家を利用することもできないとすれば、数十メートル先の彼らと私は同じだったかもしれない。

 10年ほど前に東日本大震災が発生し、都心でも強い揺れがあった。

 歴史を振り返ると100年前に関東大震災が起きており、本稿を書いた5/11の直近にも石川で震度6強が、千葉では5強と、日本が地震の多い国だと肯定する人は多いはずだ。

 過去の教訓から建物や各種インフラは耐震化されており、以前よりも被害は軽くなると思う。

 それでも私たちの暮らしは砂の上に作られているようなもので、様々な要因で簡単に崩れてしまうだけでなく、ときには自然ではなく人の手で起こされるかもしれない。

 とある町中の公園で共に過ごした彼らが、未来の自分ではないと言い切れる自信が、私にはない。


 旅と旅行が同じものだと考える人もいる。

 期間が数日や1週間だと旅行になり、数週間あるいは1ヵ月におよぶ場合は旅と呼ばれがちで、行く先が国内か海外かの違いよりも、観光を目的とした泊りがけの移動を「旅行」とするのが適切だろうか。

 旅の目的もまた等しいと思いきや、その言葉には目的地への移動にも重点が置かれているように感じられ、船で各地の港を巡るもの、鉄道やバスなどの旅が典型例だ。

 両者に根本的な違いがあるとすれば、旅には帰る場所を定めない、まるで一方通行であるかのような意味を隠し持っている。

 私の旅がまさにそれで、帰ってくることはないかもしれないと思いながら、さりとて安住の地が見つかるのではと期待するわけでもなく。

 旅の途中で出会った人々や風景が、自分を変えるきっかけになるかもと考えたのはウソじゃない。

 だが、ひきこもりだった自分が瞬きをするような一瞬で死に、間を置かず生きることに感謝する人間へと、劇的に生まれ変わる奇跡は起こらなかった。

 1ヶ月半に渡る旅の末に、目的地の宗谷岬へ辿り着いた私は絶望する。

 終わってしまった。辿り着いてしまった。現実に追いつかれてしまった。

 ゲームクリアを告げるファンファーレが鳴り響き、思い描いた新たなステージが始まることはなく、旅をしてきた日々が続いているだけだった。

 それでも砕けた砂のような心には、旅へ出る前にはなかった宝石が生まれ落ち、まだ生き続けていいのかもしれないと思えるようになった。


ひきこもりの仲間たち


 ひきこもりの更生をするという業者がいて、その実態は誘拐そして拉致監禁だったそうな。

 現状から脱して欲しい親が依頼したものの、心身のダメージとなった結果、ひきこもりが悪化したと聞いている。

 働いて社会に貢献することがゴールなのだと信じている限り、ひきこもりとその家族の溝は埋まらないと思う。

 自立した生活基盤を得て、いつか気の合うパートナーと一緒に暮らす。

 正しいとされる人間の姿を否定するつもりはないし、まったく憧れがないと言えばウソになる。

 しかし人間は生まれながら空を飛ぶことができないように、誰にだって上手くいかない事柄はあるはずで、努力や工夫でクリアできるならひきこもる必要もない。


 およそ3年に渡って世界に影響を与え続け、今後も注視されるべき新型コロナウィルスは、多くの人の雇用や健康を害した結果、146万人が存在するひきこもりの一部を生み出したとされる。

 小中高に通う10代はコロナ禍の影響を受け、中退や転校といった事例があったと聞いているし、そこからひきこもりになった10代がいるに違いない。

 一方で以前よりひきこもりだった人々は、家で過ごすようステイホームが呼びかけられたとき、いったい何を思ったのだろう。

 もし私が過去と同じ状況であったとすれば、生み出される多くの不幸を悲しみつつ、体の内側で張りつめていた空気が緩むような、あるいは肩の荷が下りたような感覚になるかもしれない。


 コロナ禍になるより前、ひきこもりの当事者や経験者、もしくはその親が集まるイベントに試しで1度だけ参加したことがある。

 外を出歩けている時点で予想していたけれど、表情が固くて暗めなのを除けば普通の人たちに見えた。

 一方で、先の更生プログラムに類するものを受けたという人は、しきりに攻撃的な言葉を使って周囲を委縮させ、そのグループだけがお通夜のような状態になっていた。

 その人なりの防御反応だろうとは思いつつ、社会復帰を目指すどころか対人トラブルを招きかねず、外から強制的に働きかけても、むしろ逆効果にしかならないと確信したのだった。


旅人にエールを


 北海道から帰宅して数ヵ月が経つと、まだ見ぬ他の場所へも旅をしたくなった。

 新たな目標を立てて準備する時間は楽しく、将来からは目を背けて今だけに集中できる。

 結果として新潟や富山などの日本海側に加えて、九州を一周して四国に渡る旅をしてもなお、私は生きている。

 旅と旅との間には、アルバイト先から正社員への誘いを受けたけれど、期待してくれていると分かりながら辞退した。

 社員登用を目指すなら長期の休みを取ることはできず、欲しかった切符と引き換えに旅を諦めるしかない。仕事は好きだったし正しい人間になれるかもと思いながら、ふたたび自分が壊れないという自信を持てなかった。

 あのときの選択が正しかったのか、今になっても分からない。

 それでも私は、他人にとって石ころかもしれない宝石を手に入れ、こうして人前に出せる技術を磨いてきたつもりだ。


 私の中だけにある宝石の1つが、九州のとある道の駅での出来事だ。

 着いたのが夜で道路より他に街灯もなく、施設全体の照明も落とされて人里だとは思えないほど暗かった。

 歩きながら少しずつ暗さに目が慣れてくると、屋根の下にあるベンチの上に小さな明かりが揺らめき、どうやらだれかがゲーム機で遊んでいると分かる。

 見た目こそ若い印象を持つけれど、服の感じは近所に住んでいる中高生とは思えない。何かあるなと話しかけたら、

「家にいるのが嫌で家出してきた」

 と少年のような男性は言った。

 詳しく家庭環境にまで踏みこむべきではないだろうし、収入とかはどうしているのかと聞いてみる。

 するとその人は、くたびれたバッグから絵はがき用のアルバムを取り出して、これを売って生計を立てていると教えてくれた。

 まずは無地のポストカードを仕入れ、そこに自分で絵を描き文字を添えているそうで、それなりの金額設定だったと記憶している。

 ちょうど所持金が少なかったこともあり、私は持っていた食品を現金の代わりにできないかと交渉して、気に入った2枚を買い求めた。

 境遇とは反対に明るい画風と前向きな詩が描かれており、家出したというのは同情を誘うためのウソかもしれないと思いつつ、それも含めて良い思い出だ。


 各地の旅を終えた数年後、私は家出してきたと話す少女、あるいは女性と出会った。

 旅行帰りに見えなくもないバッグとキャリケースを持ち、途方に暮れているかのように座りこんだあの人は、かつての私だった。

 話を聞いて自分には何もできないと立ち尽くし、後ろ姿を見送って忘れるしかないと諦めかけたそのとき、自分の中にある宝石が煌めいた。

 近くのコンビニを見つけて駆けこみ、やや肌寒さがあることを考えて温かいミルクティーを買って来た道を戻り、幽霊みたいな背中に声をかける。

「これ! そこで買ったやつ!」

 振り向いた顔は警戒心によって歪んでいたけれど、構わず私は続けた。

「風邪ひかないようにね!」

 もうちょっとマシな励ましがあるだろと、今なら思う。それでもあの言葉は私のできる精一杯だった。

 家出するような家庭環境をどうにかできるはずもなく、警察の代わりに頼れそうな団体を教えることもできない。

 だから私は、同じ旅人に向けて声をかけた。

 たまたま偶然に出会った旅人が、それぞれ選んだ道を進む別れ際、お互いの無事を祈るのは最大級の贈り物だ。

 あの人が今現在どうなったのか知る由もないけれど、どこかで生きていてくれたら嬉しい。

 そして押しつけられたミルクティーと、的外れな励ましが少しでも助けになっていたのなら、ひきこもりだった私が旅に出た意味はあったのだと思う。


(本稿は「創作大賞2023 エッセイ部門」に投稿したものです)


この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

なかまに なりたそうに こちらをみている! なかまにしますか?