森になったら人生が変わりました
『森があふれる』 彩瀬まる 読了レビューです。
ネタバレ:一部あり 文字数:約1,900文字
・あらすじ
山入書房の編集者、瀬木口昌志は担当している作家、埜渡哲也から
「妻がはつがしたんだ」
と電話口で告げられる。
「妻が、発がん」と受け取った瀬木口は、埜渡から購入するよう頼まれた水槽や土、有機肥料は闘病の癒しに使うのだろうと考える。
瀬木口はホームセンターで頼まれたものを購入し、埜渡の自宅を訪ねて彼が見たのは、全身から発芽した埜渡の妻、琉生の姿だった──。
・レビュー
頭のおかしい小説家とその妻
冒頭に出てくる次の部分で漢字を使わないのは、明らかに狙ってますね。
私も瀬木口と同じように意味を捉えかね、きっと言い間違い、あるいは聞き間違いだろうと思っていたら、本当に埜渡の妻である琉生が発芽していたと。
やがて完全な植物になってしまうと知った埜渡は、妻を救うべく前人未踏とされるジャングルの奥地を目指すのだった──。
to be continued…
なんてことには全然ならず、埜渡は如雨露で琉生の全身にシャワー状の水を振りかけます。
なんと琉生さんは異様な姿になっても話せます。
oh my god!
開始からして異次元SFなんですけど、埜渡はもちろん瀬木口ですら現状維持を選択します。
いちおう琉生自身が希望しており、瀬木口は仕事だからと自分を納得させるのです。そして夫である埜渡が何をするかと言えば、今回のことを小説にすると。
Unbelievable!
本作の始まりとなる琉生は全身から発芽し、やがて森を形成していきます。しかし、語り手となる視点が編集者の瀬木口、次に埜渡の小説講座に通っていた女性と、なかなか2人に近づきません。
ちなみに女性こと木成夕湖は、埜渡に対して次のような印象を持ちます。
言われちゃってるぞ埜渡先生!
森に覆い隠されたもの
トンデモ展開かつ、問題とされる埜渡と琉生の話が進まない本作。
ただ、遠回りしてこそ2人の抱える問題に辿り着き、森の始まりへと至ることができるのです。
体から植物が生えた琉生の姿を見て、編集者の瀬木口は驚くものの、埜渡に本を書かせるという仕事を優先します。その判断を反射的に非難したくなるものですが、ひとまず彼の立場になってみましょう。
出版社に勤める瀬木口の仕事は、売り上げに繋がる本を作家に書いてもらうことです。それができなければ成績は下がり、やがては退職の憂き目に遭うことでしょう。
生きるためには出版社という森から追い出されないよう、森の一部にならないといけません。植物の生えた人間を元に戻そうと奮闘するのは、残念ながら瀬木口の仕事ではありません。
もちろん何も感じていないわけではありませんが、職場の人手不足に妻子ある身となれば、彼が黙認するのは仕方がありません。ええ、仕方のないことなのです。
そうして覆い隠された事実は静かに成長し、関わる人々に影響を与えていきます。
自分では気づいていない、意識すらできないことがあるからこそ、他者とのやり取りが大切なのだと聞きます。
琉生から始まった森は他者であり、極めて特異な存在として関わる人々を揺さぶることで、森の一部であったことを意識さえしていなかった木が、自らの立ち位置や考えと「再会」するのです。
人間の持つ心の森
宮崎駿『風の谷のナウシカ』の原作では、人間の精神世界を森によって表現する場面があります。
本作もそれに近く、全身から植物を生やした琉生がやがて森となり、埜渡を取りこんで1つになるような描写は幻想的で、美しさすら感じます。
開始からして「妻がはつがしたんだ」ですし、現実を超越した何でもありの前提だからこそ森は、埜渡と琉生が互いの始まりに到る道となったのでしょう。
いちおう断っておくと意識を乗っ取られるとか、食べられてしまうわけではありません。
ただ2人の辿り着く結末は、驚きなくして読めないのではと思います。
森は多くの木が集まった場所ですが、1本の木にはそれぞれの始まりがあって、同じ森は1つとして存在しないでしょう。
あなたの心にある森は、いったいどんな姿なのでしょうね。
なかまに なりたそうに こちらをみている! なかまにしますか?