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名前の嫌いなAについての回想 《短編小説》

【文字数:約1,600文字】

 その場所に立つのは何度目だろうか。

 古都・鎌倉の中心から外れた寺のさらに片隅、目的地と呼ぶにはわびしい場所を目指して歩く。

 この地にかつて存在した幕府が、守りの要とした山に寄りかかるような寺は、遠く相模湾を望むことができる。

 初めて訪れたのは5年くらい前で、あんなことがあったものだから、存在を知っていても足が向かなかった。

 あの人の母親とは、お別れ会の後すぐに連絡が取れなくなり、おそらく疎まれているのだと理解したことも理由の1つだ。

 しかし1番には意味がないからだと、あの人も生きていたら言うだろう。

 仮に「A」とする人物については、少し前に思い立ってwebの記事にした。秋が深まって冬の気配を肌で感じる季節になると、夏の向日葵などと同じように連想する、ある種の風物詩となっている。

 Aは自分の名前を嫌っていた。

 漢字3つで書きにくいのはもちろん、名前にすりこまれた両親の願望が、Aの心をむしばんでいたような気がする。

 面と向かって頼まれたわけでもないけれど、私はAを名前ではなく名字で呼んだ。それもそのはず、1ヵ月ほどしかない付き合いの始めに、自分の名前が嫌いだとAは言ったからだ。

 いかにもAの名前は親が喜びそうなもので、そのうちの片方が離婚により存在しない当時の状況を考えれば、名前が嫌いだと寂しげにつぶやくAに何と声をかければ良いか、私は今もなお分からない。

 名前を変える申請はできても、元の名前を捨てるというのは自分の一部を失うのに近く、知り合ったばかりの人間には提案できなかった。

 こちらの迷いを見透かすような、ぎこちないAの笑顔は悲しみにあふれていた。

 今現在は何となくカッコイイ響きのある戒名を得て、あるいは名前その他の呪いから解放され、もしかしたらAは喜んでいるかもしれない。

 私は何度目だったか忘れた墓参りをして、そんなことを考えた。

 ぬるい白湯さゆを2つの空の盃に注いで、軽く打ち当ててから片方の中身を墓にかける。私は飲酒運転をしないために、Aは未成年だったために、その選択は正しいものだと考えている。

 キャラメル3つを供えてやれば、まばたきの一瞬で消えるのではないかと期待して、実際そんなことが起こるはずもない。

 ある人に1枚だけある生前の写真を見せたら、体を搾れば光るんじゃないかと言われ、お世辞だとしても嬉しかった記憶がある。

 出会ったときにAが太っていたのは、かけられた呪いその他のせいだと思いつつ、最後には劇的なダイエットに成功したわけで。

 ただ、ちょっと気味の悪いあの笑い声は、太っていたから出せたのかもしれなくて、だから記憶のAが改造されることもない。

 時間にすれば10分ほどの墓参りを済ませ、遠かった相模湾のそばを走りながら、ただただ私は無心だった。

 意味のない感傷でおひたしを作るぐらいなら、何かしら誇れる記録なり実績なりを作れと、生前のAなら言うだろう。

 お前の呪いでもって、今も私は生きている。そして生者の特権を用いて記事にしたら、ありがたくも紹介してくれる人がいた。

 Aという存在がイメージとして蘇ったところで、没した事実が書き換わるわけでもない。

 それでも私は、お前が呪われた名前ではない、Aという名で記憶されることを喜んでいる。

 なぁ○○○、約束はしないけれど私が生きているうちは、こうしてまた感傷に付き合ってくれ。もちろん先に死んだ奴に拒否権はない。それくらいしか私にはできることがなくてな。

 情けない奴で幻滅したか。その言葉、そっくりそのまま返すぜ。トラックに轢かれて死ぬとか異世界転生のお約束かっての。最後に聴いてた曲がそれっぽいのだったら、もはやコントじゃねぇか。はは、笑えるよ。ホントに幻滅だ。

 なぁ○○○、お前は本当に事故で死んだのか?


お前の名前と同じ3つだ。笑えよ。




 ご覧いただき誠にありがとうございました。また、元記事を紹介してくだった老婆の日常茶飯事さんにも感謝を申し上げます。


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