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頭のおかしいAについての回想

【文字数:約2,200文字】

※ 愚痴です。

※ 本稿には不適切な表現があります。


 今くらいの季節になると鎌倉にある墓参りに行ってみようかと、ぼんやり思い浮かべたりする。

 墓といっても祖父母のものではなく、○○家といった個別でない合同墓だ。

 名刺大くらいの石碑に戒名や没年などが彫られており、故人が増えると新たな石碑が追加される。

 出社や出張を示すような見た目だなと思いつつ、その石碑の1つに語りかけるのが常だ。

 よう、きたぞ。

 そいつのことを仮に「A」とするけれど、一緒に過ごした期間は1ヶ月にも満たない。

 それでもAの母親から亡くなったと聞いて家を訪ね、太っていることを気にしていたと思い出し、

 あーあ、ずいぶんとスリムになっちゃって……。

 拳大の大きさしかない骨壺にそう語りかけたのは、私の持ちうる中で最高の誉め言葉だったと自負している。

 ◇

 Aは「お腹すいた」、「つかれた」と同じ感覚で「死にたい」とぼやくので、私も軽い口調でもって、

「じゃあ何で死ぬ? 薬に首吊り、樹海でピクニックとか?」

「どれも疲れるしお金がかかるから、飛びこみがイチオシだと思うんだ」

「たしかに。だけど電車は止めとけ」

「遺族に請求とかされたら自己破産だもんな。見た目もヤバいらしいし」

「それはビルとかも一緒だろうけど、下に誰かいないか、ちゃんと確認しろよ?」

「空から降ってくるのはロマンあるけどなー」

「ラピュ○じゃないんだし、受け止めてくれないだろ。いろいろと重いし」

「それは存在が? それとも物理的に?」

「どっちもだよ。重力加速度ってあるじゃん?」

「9.8のアレね。そういえば○○メートルの屋上からだと、最終的にどれくらい速くなるんだろ」

「言われてみれば……ちょっと計算してみるか」

 などと最低で最高なやり取りができるAとは、出会い方が異常だったことも無関係ではないにせよ、すぐに仲良くなった。

 あるときは「愛が欲しい」などとほざくので、「俺なんかどうよ」と遊びの約束をするみたいに応じたら、

「いやいや、わたしはオッサン好きだから」

 と即答され、私も「ですよねー」と返して、

「愛が欲しいなー。2個セット500円くらいで」

「めっちゃお得じゃん。よし、それをハッピーセットと名づけよう」

「トゥルットゥトゥ~♪(マクド○ルドのテーマ曲)みたいだから止めとけ」

 などと、アホな話をしたような気がする。

 Aは幼い頃に両親が離婚した母子家庭だったから、たぶん父親の代わりを求めていたのだろう。

 そのとき私が立候補したのは半分がノリで、1/3は本気、残りが興味だった。

 今はバカを言い合ってる間柄だけど、そのうち時期がきたら真剣に話せるだろうと、余裕ぶって悠長に構えていた。

 そうして「またな」と別れて再会したら、Aは劇的ダイエットに成功して、ビフォアフターの番組で取り上げて欲しいくらいの骨になっていた。

 ◇

 私とAの付き合いよりも、同級生や親類縁者とのほうが長く太いものであったことは疑いようがない。

 骨壺と対面した後に「お別れ会」が営まれたけれど、私は彼らを差し置いて悔しさを爆発させた。

 続く食事会への参加をAの母親から、やんわりと断わられたのは仕方ないと思う。そうされる言動だったし、あの場において私は限りなく他人だった。

 そんな人間が今の時期になると墓参りに行きたくなる。

 Aがトラックに轢かれたのも今くらいだったけれど、正確な日付は覚える気にもならない。

 トラックに轢かれて異世界転生ができるのは物語だからであって、今のところ向こう側からは何の音沙汰もない。

 そもそもトラックが人を轢く確率は高くないだろうし、もしかしたらAは自分から道路に出たのではと考えている。

 ヘッドフォンをしていた、という状況を聞く限り不注意だった可能性もあるけれど、歩いて祖父母の家に行く途中だったらしいから、慣れた道で事故に遭うだろうかと疑っている。

 もし仮に推測が正しいのだとしたら、私はAを引き留められなかったことになる。

 とはいえ、Aが故人であることに変わりない。

 ぎりぎり酒が飲めない年齢だったから、未練がましく墓前で乾杯をしたいと思いつつ、飲酒運転になってしまうので実現していない。

 自転車で日本を旅したのも、ある区切りで私がバイクの免許を取ったのも、仕事のストレスがあったにせよ、Aのことが無関係ではないと思う。

 石碑に彫られた○○年○月○日の日付が変わることはなく、一方で私は歳を重ねている。

「いまじゃみんなマスクなんだぜ? 夏でも変な目で見られないとか、時代は変わるよな」

 墓前でそんな話をするかもしれない頭のおかしい人間は、Aの好みだったオッサンに分類される。

 今頃、Aの母親は親類と仲良くやっているだろうか。その親類をAもまた好いていたから、言ってしまえば無間地獄だったのだろう。

 ◇

 私は自殺について否定も肯定もしないが、ここ数年における10代および20代前半が決めるのを悲しく思っている。

 現実とwebの両方で逃げ場所がないとしたら、それは現世の地獄に他ならない。

 助けを求めても拒否されるか利用されるかのどちらかなら、自らを決するのも方法の1つなのかもしれない。

 ただ、親しい人間が逝去した人間は、人によって軽重大小は様々ながら、何かしらの呪いを受けることになる。

 私はAの呪いによって生きることを半ば義務化されており、自らの処し方について酒の勢いを借りなければ、軽々しく話せなくなった。

 私はAが憎い。憎くてたまらない。殺してやりたい。もう死んでるけど。

 


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