にと

10年以上ニートをやっているベテランニーター。

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最近の記事

三島由紀夫の言論の自由

以下、学生との対話より抜粋 国家革新の場合どんな国家を求めるのか、 革新の方法論はどうするのか そこから考えていかなければ 何も出発しないと私は思うわけであります それで最初の言論の自由の問題に戻りますが 言論の自由というものを 政治と完全に抵触する概念と考えるか あるいはそれは政治を調和する概念と考えるか えーこれが私が問題の別れ目 じゃないかという風に考えます と申しますのは 言論の自由を政治と抵触すると はっきり考えればこれはソビエトの やってることは正しいんであ

    • 三島由紀夫の国家論

      三島の動画を投稿した。 今回は文字に起こしてない状態で動画を作ったので文字起こしはない。動画に字幕はつけたけど。 ここらへんの時代の話になるとチェコの名前がよくでてくる。そこらへんの話は疎いので少し勉強しないといけないな。 国家の保護観察機能、権力などを含めた話を展開していくわけだけども、話を聞いていると移民の問題が気になってくる。 国家の保護観察機能というのは、日本のように治安がいい国では機能しているかもしれないが、難民にしても移民にしてもクルド人にしても、言ってしま

      • 三島由紀夫、太陽と鉄の感想

        たまたま読んでみただけだった。 三島由紀夫は、金閣寺で挫折した。初めて読んだ三島由紀夫の作品だった。 アマプラで三島由紀夫の東大全共闘との会話が映画化されていて、なかなか興味深く、ある部分をyoutubeのshorts動画にした。 なぜかたくさん見られた。 たくさんのコメントがついた。様々なコメントがついた。 まあでも、それらには興味がなかったが、人気もあるが、いわゆる強烈なアンチのようなのが居る人なんだなと思った。 あるとき、たまたま図書館で三島由紀夫の棚の一列があっ

        • 三島由紀夫『精神は「終わり」を認識しない』

          なんといえばいいか。生きていることによって生じていることを言葉で表現することによって、例えば過去のことを言葉によって形として残すこともできる。つまり、過ぎ去っていくものの形を残すということが言葉にはあり、今生きているということそして死んでいくことに対して言葉は実感を与えないといいたいのかな。 そもそも今日というものが、今の君というものを言語化するのなら、今の君の終わりってなんなの?言葉によってちゃんと終わらないとしたら君の生ってなんなの? 私達が生きていることが言葉によって

        三島由紀夫の言論の自由

          三島由紀夫の自決の予告

          以下は太陽と鉄の一部分であり、自決することを運命としているのを明記している部分の文章である。 「私は自分の存在の条件を一切認めず、別の存在の手続を自分に課したのだった。そもそも、私の存在を保障している言葉というものが、私の存在の条件を規制している以上、「別の存在の手続」とは、言葉の喚起し放射する影像の側へ進んで身を投げ出すことであり、言葉によって創る者から、言葉によって創られる者へ移行することであり、巧妙細緻な手続によって、一瞬の存在の影像を確保することに他ならなかった。

          三島由紀夫の自決の予告

          三島由紀夫の幸福な世界

          ...私が幸福と呼ぶところのものは、もしかしたら、人が危機と呼ぶところのものと同じ地点にあるのかもしれない。 言葉を介さずに私が融合し、そのことによって私が幸福を感じる世界とは、とりもなおさず、悲劇的世界であったからである。 もちろんその瞬間にはまだ悲劇は成就されず、あらゆる悲劇的因子を孕み、破滅を内包し、確実に「未来」を欠いた世界。 そこに住む資格を完全に取得したという喜びが、明らかに私の幸福の根拠だった。 そのパスポートを言葉によってではなく、ただひたすら肉体的教

          三島由紀夫の幸福な世界

          三島由紀夫の運命と弁解について

          三島 芝居をやらなきゃ生きていけないのは、きっと神様が我々を人形に扱っているわけでしょう。我々は人生で一つの役割を、puppet playを強いられているんですね。それは「葉隠」にも書いてあります。よくできたからくり人形だって、人間は。 小林秀雄が言ってますけど、人間は死んだとき初めて人間になる。人間の形をとると言うんです。なぜかというと、運命がヘルプしますから。運命がなければ、人間は人間の形をとれないんです。ところが、生きているうちは、その人間の運命が何かわからないんですよ

          三島由紀夫の運命と弁解について

          三島由紀夫「あそこにみんな書いてあるんです。」

          三島 ベスターさんが『太陽と鉄』を訳してくださったので非常にうれしかったのは、あそこにみんな書いてあるんです。あれを人がつまらない評論と思わないで読んでくれれば、あれを本当にわかってくれた人は、僕がやることを全部わかってくれると信じています。 ベスター しかし、一つ疑問に思ったのは、本当に理解してくれる人が何人いるかということです。 三島 僕は非常に少ないと思いますよ。 ベスター 私も、正直言って非常に少ないと思います。そういう意味では、ちょっと危ないかもしれないとも思

          三島由紀夫「あそこにみんな書いてあるんです。」

          三島文学の欠点

          ベスター  変なことを聞くようですけど、三島さんが自分の文学を見て、欠点といいますか、しょうがないけど自分の文学に欠けているもの、そういうものが何か・・・・・・。 三島由紀夫  僕の文学に欠けているものは、そうですね・・・・・・。 ベスター  本当はそういうことをお聞きしても意味ないかもしれません。厳密に考えて意味ないことなんですけど、表面的に考えていただいて。 三島由紀夫  (しばらく考えて)それは自分でいつも欠点を感じながら書いていて、自分にはこれは書けない、あれは

          三島文学の欠点

          三島由紀夫の現代歌舞伎批判

          三島 何も歌舞伎でやらなくても、ただ昔のお話だというだけです。 ベスター 歌舞伎独特の技巧を捨てて、現代の芝居と同じように。 三島 同じということです。それをただ歌舞伎役者が、自分の身についた技巧で、演技でもって多少歌舞伎風にしているだけで、脚本そのものは歌舞伎の脚本でも何でもないんです。それを世間はわかりやすいから新作と喜ぶ。書きやすいから、みんなそういう芝居を書くわけです。例えば現代語で書いたり、あるいは昔の芝居でも、平安時代の芝居に、「いや、人事関係というものは

          三島由紀夫の現代歌舞伎批判

          やまゆり園の事件に対して福祉の第一人者の答え

          この子らを世の光に という本がある。 書いたのは、社会福祉の父とも言われる糸賀一雄である。 この本の中に、このような文章がある。抜粋したものだ。 書いておくがそれなりに長い。 しかしこれは戦後20年に及び福祉に携わってきた第一人者の考えの変遷を書いているので一読の価値はある。 『浮浪児や精神薄弱児たちを収容して育てたという経験の中で、私たちはこのことたちに対する考え方そのものも少しずつ変わっていったということも率直に認めなければならない。どういう風に変わっていったのであろ

          やまゆり園の事件に対して福祉の第一人者の答え

          難病の死にゆく子との違い

          最近めっきりテレビを見ないし、見るとしても毎回決まったような番組ばかり。(ヘッダーの画像に特に意味はありません。) ふと思い出した。 たまに、やっている番組。 もしかしたら今時なら感動ポルノとでも言われるのだろうか。 難病の子供を追うドキュメンタリー。 あんなもんまともに見られるもんじゃない。 だいたいはいい子で、死を悟って母に泣かざるを得ないメッセージをしてくれる。 ああ、と思った。 ふと言う。 「おれだってこうなっててもおかしくないよなあ。」 こんない

          難病の死にゆく子との違い

          はじめに

          私はニートを10年以上やっている。 だから社会一般的なものからはかけ離れているところも多々ある。 現実として生きていて、虚像のように生きている。 この世があの世に見える。 でも生きていると、そうなにもかも悟ったように、諦観していることはなかなか難しい。 社会の底辺にいるが、そこから逃れようとも逃れることもできない人間にはどうにもまだ見えない血路が流しきるまでつづくようで。 世間は喧しいが、淡々と日常は続き、 騒がしさも静けさへと結露するだろう。 どこかの誰かに

          はじめに