見出し画像

三島由紀夫「あそこにみんな書いてあるんです。」

三島
ベスターさんが『太陽と鉄』を訳してくださったので非常にうれしかったのは、あそこにみんな書いてあるんです。あれを人がつまらない評論と思わないで読んでくれれば、あれを本当にわかってくれた人は、僕がやることを全部わかってくれると信じています。

ベスター
しかし、一つ疑問に思ったのは、本当に理解してくれる人が何人いるかということです。

三島
僕は非常に少ないと思いますよ。

ベスター
私も、正直言って非常に少ないと思います。そういう意味では、ちょっと危ないかもしれないとも思う。

三島
でも、危ないことは承知ですからね。初めから安全な人生を送ろうと思って生きている人間じゃないから、ちっとも構わない。例えば『太陽と鉄』というものは、本当の読者は十人いればいいほうだと思うんです。本が売れることを僕は望みますけれども、あの評論は、自分の本当のハートから読んでくれる人は非常に少ないと思うんですよ。そういう人がもし十人いればね。

ベスター
文学だけの問題じゃなくて、頭もよくなければわからないです。

三島
そう、頭の問題もあります。ですけど、あれをもしわかってくれれば、僕がやっているどんなバカなことも、何もかも全部わかってくれます。そのためにあれを書いたんです。ところが、僕のやっていることは、自分で言うのもおかしいけれども、あんな難しい言葉を使わなければ表現できないんです。つまり、簡単にジャーナリスティックに、私はこういう気持ちでああいうことをやっておりますと言うことはできないんです。あれだけの説明が絶対に要るんですよ。あの説明が僕にできるただ一つの説明ですから、要約することもできなければ、人にわかりやすいように言うこともできないんです。

ベスター
ただ、私の解釈が間違っているかもしれませんけど、三島さんが『太陽と鉄』をお書きになったのは、ただ自分の気持ち、自分の考え方を人に理解してもらうためじゃないでしょう。もう一つ、自分に非常に大切なことを、体験をテーマにして、一つのきれいなもの、装飾と言うのはおかしいんですけど、やはり一つの小説と同じようなものを……。

三島
芸術です。

ベスター
そういう意味から言えば、芸術をつくろうということではなくて、人にわからせようということだけが目的でしたら、体験の内容をもっと簡単に・・・・・・。さっきそういう意味でおっしゃったんじゃないですね。

三島
僕がやっていることが写真に出ます。あるいは、週刊誌で紹介されます。それはその段階においてみんなにわかるわけでしょう。
ああ、あいつはこんなことをやっている、バカだねぇ、と。でも、その「バカだねぇ」ということを幾ら説明しても、僕をバカだと思った人はバカだと思い続けます。そんなことを幾ら説明しても、そういう人にはだめですよ。ですから、僕は、スタンダールじゃないけども、happy fewがわかってくれればいいんです。
僕にとっては、僕の小説よりも僕の行動のほうがわかりにくいんだという自信があるんです。
というのは、僕の小説は読めばストーリーもあります、プロットもあります。ですから、言葉さえわかれば何とかわかるんです。だけど、僕の行動はそういうミディアムがありませんから、わからない人はわからない。それでよろしい。それをわかりたい人は『太陽と鉄』を読んでくれ。あれを読んでくれればわかるという気持ちですね。僕はそれ以上、何も言わないんです。

ベスター
よくわかりました。

三島
あるいは、僕が死んで五十年か百年たつと、ああ、わかったという人がいるかもしれない。それで構わない。生きているというのは、人間はみんな何らかの意味でピエロです。これは免れない。
佐藤首相でもやっぱり一種のピエロですね。生きている人間がピエロでないということはあり得ないですね。


なんとなく読んだ三島由紀夫「告白」
この中に太陽と鉄という作品についての言及があり気になった。
そこまで言うのなら、読んでみたいな。と
この本を読んだ後に探してみようと思っていたのだけど…

そしていつのまにか太陽と鉄を読み始めさせられた時の衝撃に、事態の大事さに気づくのだけど。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?