三島由紀夫、太陽と鉄の感想
たまたま読んでみただけだった。
三島由紀夫は、金閣寺で挫折した。初めて読んだ三島由紀夫の作品だった。
アマプラで三島由紀夫の東大全共闘との会話が映画化されていて、なかなか興味深く、ある部分をyoutubeのshorts動画にした。
なぜかたくさん見られた。
たくさんのコメントがついた。様々なコメントがついた。
まあでも、それらには興味がなかったが、人気もあるが、いわゆる強烈なアンチのようなのが居る人なんだなと思った。
あるとき、たまたま図書館で三島由紀夫の棚の一列があった。
あー、あのたくさん見られた三島由紀夫だ…
でも読めるかなあ、あの文体結構しんどいからなあ。
あっ、インタビュー本かなこれ。これなら映画と同じ感じで読めるかも。
そうやって手に取った「告白」だった。
三島由紀夫のインタビューでの会話は、映画版のより気楽な感じで読みやすく、やはり教養がある人なんだな…と思ったがこの告白に付いてきた「太陽と鉄」これには参った。
難解ではある。難解ではあるし、何言っているのかわからない部分もある。
ひとりの男が、書ける範囲で、言葉を選んで、できれば分かってほしい、でも分からなくてもいい…そんなように苦労に苦労を重ねて書いているのが伝わってくる。
こんなに文豪と言われる人の文章で苦労が見えるものなのか。そんな文章は初めてだった。
言ってしまえば、長い遺書のような作品だった。なぜそうするのかをここまで丁寧に説明する人もいるのか、ここまで美しい遺書があるのか。そして、三島を説得しようと試みようとする自分が居た。
私は決して、自殺を止めることに躍起になるような類の人間ではない。
なぜ、私が自殺を出来なかったのかさえ、読んでいると説明されている気分になる。
そんな私に彼の自殺を説得できる言葉はなかった。
三島由紀夫という男を追ってきたわけでもない。
ただ私がこの告白を読んで感じたのは、
ここまで純粋な人間を知らない。
ということだ。
私がこの「告白」を読んで思ったことは、参ったなあと思ったのはそこだった。
ここまで複雑な成熟している人間の、純粋さというものをここまで文章にできるものなのか。よく書いているだけかもしれない。しかしそれを置いてもあまりにも純粋にすぎて、このような人間が居たということに動揺した。
三島が死んで、日本は戦後になり、また戦後が終わったのだ。
それはあまりにも幼稚だと笑われようとも、そんな気分にさせられた。
なぜ日本の教育の中で、三島をきちんと通らないのだろう。
三島を好きになる必要なんてない、理解する必要もない、ただ知っていてほしい男ではある。
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