子どもの頃の報われない気遣いを優しさを、今のわたしが過去の自分へありがとうと言おう。
こんにちは、リン☆だあく(@rindark)です〜!
あなたの子どもの頃ってどんな感じでしたか?
この歳になってやっと、あの頃のわたしも精一杯その時を生きていたんだなぁっと認められる様になってきました。
一時期は、子どもの頃の環境を恨んだ事すらありました。
わたしが子どもの頃には、今では考えられないぐらい子どもの地位と言う物は低いものでしたね。
大人は大人であるというだけで、尊敬をしなくては行けない対象でした。
でも、それはかなりの苦痛を伴うものでもありました。
1、物心がついたときから、気を遣っていた
わたしが物心がついた時には、父親が偉くて、母親は父親に従うものという感じの家庭でした。
当時はこういう家庭の方が多かったんじゃないかなぁって思います。
しかも、うちは本家で、父親は本家の長男という立場だったので、じいちゃん、ばあちゃんもかなり偉い立場で存在をしていました。
本家というのは、やたらと親戚が多く、それら親戚にも気を遣わなくては行けない状態でした。
1-1、子どもは意外と知っている
そんな家庭環境では、いろんな本音と建て前が行き交っていて、子どもだったわたしは、表面的な友好関係の裏にある、憎しみや妬みなどの存在を直感で知っていました。
大人は子どもだと侮って、裏で言っている事を平気でわたしの前で言っていました。
あの人と会った時には、あんなに良いことをいっていたのに、その人がいなくなって、裏に行くとめちゃくちゃバカにしたような言葉をいっているのをずっと聴いて育っていきました。
なので、物心がついたときには、表と裏が人間にはあるんだということを暗黙の了解で知ってしまっていました。
1-2、隠された事情
それにプラスして、これは他人には言ってはいけないという家庭の中の秘密というのがありました。
それは、父親の母親に対するDV被害、今思い返すと理解できるわたしたち兄弟に起こっていた虐待、それに父親と祖父のアルコール依存症の行動などが家庭の秘密としてありました。
わたしたち兄弟は、それは当たり前の事で取り立てて人に言うことではないという態度をされていて、しかも人に話すことは恥であるという教えを暗黙のうちに受けていました。
だから、それらの事で傷ついたとしても、誰にも言っては行けなかったのです。
1-3、心をそっと閉ざすという技
そんな環境で育つと、普通の心では生きて行くことが出来ませんでした。
なので、わたしの場合は、心をそっと閉ざして、それは知らなかった事、見ていない買った事として心に鍵をかけて奥底にしまっていました。
その反面、弟と妹は、反逆するという態度で、そのおかしい家庭環境を非難していました。
わたしだけは、本家の長男としてかなりの洗脳をうけていたので、鍵をかけることぐらいしか技をつかえなかったのです。
弟や妹は、家を将来出られる可能性が高かった為、反逆(グレる)ということをしても大丈夫だったのでしょう。
関係性もそれだったので、わたしは兄弟とも絆をうまく築けずに成長してしまいました。
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