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悔いのない支援をしよう
施設入所支援に携わり、20年近く。
現在40名定員のうち、65歳以上の方が4分の1ほど。これまでの施設入所支援のなか、僕が利用者の方の死に触れた経験は両手で足りるくらい。
そのなかで10年程前、膵臓がんで亡くなった70代後半の利用者の方がいた。
この方が死に至るまでの支援や介護のあり方とか、支援者自身の死の受け止め方とか、色々と考えることがあり、同時に無力感も感じていた。
その方が亡くなったあと、この無力感を晴らそうと、個人的に看取りや死について勉強を始めた。
そうしたなか、ある看取りのセミナーで聞いた言葉が、新鮮だった。
【悔いのない介護をしよう】
講師の方の談話のなかで、ある老健でのエピソードが紹介された。
余命いくばくもない方がいらっしゃって、しばらくの看取りのあと、お亡くなりになった。その時に、介護スタッフが亡骸を前に、大好きだったお饅頭を山盛りにして、泣いていたそう。
その講師の方は
このエピソードから
「遺体はケアの通信簿」
「亡骸を前に後悔した涙を、流すなんてもってのほか」
と話された。
なかなか強い言葉で、受け止めて、理解するまでに随分と時間を要したが、つまるところ、
『できることの範囲が広いうちに、できることをやっておく』なのかなと。
死が見えてきた時に、慌てて好きな所連れていったり、好きな食べ物を慌てて食べさせたりしちゃダメなのだ。
そして
『棺桶に綺麗に入る身体を作る』ことは、丁寧なケアをしたという通信簿にもなる。
股関節、膝関節の拘縮が強く出ると、棺の蓋が閉まらなくるケースが昔はあったと聞く。
拘縮を作らないための身体作りであるポスチャリングやシーティングは、今できること。
ご家族や支援者が
「よう生きたな」
「あれやって良かったな」
そうした涙が出る支援を目指していきたい。
※音声配信をしています↓
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