又吉原作映画「劇場」を観て

才能は孤独と表裏一体

才能がないことを分かってながらも、自分が認めた相手には肯定されていないと気に触る。絶望する。孤独になる。

そんな刹那が人には存在するだろう。特に若いうちから、自分が得意なことが分かっていると能力に偏りが生み出される。能力を否定されると最後の理解者である自分自身でさえも自分に疑いを持ち始める。

自分にフォーカスを当てて生きてきたため、周りを振り回し、迷惑をかけたことたちが思い出され自己嫌悪の陶酔に入る。そして自分の殻に入り込み、社会との関係性に境界線を引こうとする。

そんな自分にまた自己嫌悪する。繰り返し


主人公は、最後に彼女と別れる。

本当の孤独。自分を認めてくれる人がいなくなる。いろいろな感情を寄与できる存在がいなくなる。

今まで強がっていた自分に滑稽さを感じる。自分がただ才能がないという事実から目を背けたかっただけなのに。


「孤独がきみを強くする」という岡本太郎の本があるが、本当だろうか?

生きているレイヤーが違うからなんとも言えない。

現代はネットの普及から繋がりたくなくても、人と繋がれてしまう。気軽に繋がれるからこそ感じる孤独は、岡本太郎がいう孤独よりも精神的につらいものがあると思う。

孤独は好きだが、ひとりでもいいから自分を必要として欲しい。たぶんそんな時代だろう。生きていることに価値を見いだせる。

否定される恐怖に耐えれる人間はいるのだろうか?


作中で一番印象的なセリフ「少しだけ春っぽい匂いがした。吐きそうになった。」

自分の環境・能力は何も変わらない。

なのに希望の春(新学期、新生活)がきたと思うと、焦燥感から吐き気がした。

自分に陽の目を浴びる瞬間がいつくるのかと考えることもやめた。学生時代に好きだったことに、しつこくしがみついているだけである気がする。


孤独を再思考するきっかけとなる作品だった。



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