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私の好きなわたしは理想のわたしでなくてもいい

かつては、文章を書くのが好きなわたしがいた。
もうどのくらい前か思い出せないけど、コロナ禍にライターとして仕事をしていたときはなんだか楽しかった。

今は好きなことも好きなタイプの人もとっさに出てこない自分。
もちろん、筆をとっても何が書きたいかわからない。
仕事中は、得意なことがわからなくて自信を失くしたり、苦手な人に笑顔でいて疲れたり、いろんな不具合を起こしている。
こういうとき、理想の自分なんて考えだしたら余計に辛くなった。

そして飛び込んできた言葉。「”好き”は最強」。
せっかく雨だし、ちょっとだけ下手くそなセルフキャリコンでもしてみようと思う。

先月の振り返りをしてみる

6月初の週末、静かに先月を振り返る。
楽しいことがあっても喜べない、控えめに言って、散々な1ヶ月だった。

原因はわかっている。
勝手に人に期待したり、自分に我慢させたりしたせいだと思う。
問題に向き合ったところで現実がついてこなくて、目を背けることも余計こじらせるだけに思えて、結局向き合おうとしては空回りした。
爆発したように焦りの気持ちを吐き出して、5月が終わりを迎えた。

今もっているもので幸せを実感できない。
仕事というのは特に、いろんな場面で自分らしさを突きつけられる。
私が「それ」を選んでしまったせいだから・・・?
こうなっても仕方ないのか・・・?
仕事、パートナー、住まい、生き方、etc.
普段の何気ない気持ちが大きな意思につながってきて、今がある。

だから過去の自分を振り返ると、今のまま小さな意思決定を繰り返しても理想のわたしは手に入らない気がした。
今手にしているものを手放さないと、幸せになれないという呪いのように。

気づいたこと

ある人が言ってくれた。
今のわたしだって充分素晴らしいのに、過去の私を否定したら、そのときのわたしが可哀想だと。

たしかに私は「悪者」を探している。
現状(特に他人)に感じている不快感を自分の中にため込んでしまう。
なぜなら、この世は奪うか奪われるか、傷つけるか傷つけられるかしかないと思っているから。どっちかを選ばないといけない。

このビリーフ(認知の歪みともいうだろうか)が私の中にある限り、どこにいても逃げられない思いがある。思いは現実になる。
この世は「思い通り」になるのではなく、「思った通り」になる。
これもまた私の信念である。

だから焦っていた。「思い」がもういい方向にイメージできない。
何を選んでも悪い方向にいくのかもしれないという恐怖がある。
最後は傷つくし、悲しみを感じないで何かを実現できないというイメージばかりが膨らんでしまった。THE悪循環。

でも、今ってほんとにそんなに悪いことだけなのかな?
「好きなもの」はほんとに何も残っていないのかな?
部屋を見渡すと、ところどころ自分らしさ満点なのに。

わたしが好きな私

自分が繋がりたい人と繋がるには、自分がそうなるしかない。
ふとそんな言葉を耳にして、ハッとした。心が救われた。

そうだ、今からでもやりたいことを目指せばいい。
私は「言葉で誰かの悩みを軽くできる人」になりたいし、「影響力がある人」になりたい。
「明日、職場でも実践してみよう」と咄嗟に思った。

でもだからと言って、今の自分にNGを出すべきではなかった。
今の自分がダメなわけではない。そのままでもいい。
むしろそのままでい続けるために、この2-3年は今しかできない、新しいことをやろうとしてきた。

自分の中に好きなものがいくつもあった頃のわたしは、好きなことがどんどん増えていって、それはそれで困っていた。
・海外、文学、言語(イギリス、英語、漢字)
・色やデザイン、ライティング、写真、SNS
・アニメ、ジブリ、漫画、海外ドラマ
・音楽(UVERworld、ミスチル、aiko)、風刺画(バンクシー)
・ビール、日本酒、ウイスキー、ワイン
・日本文化(懐石、しゃぶしゃぶや寿司、着物)
・星座や血液型、占い
(人の誕生日を聞いて、何座か瞬時にわかるというのは特技かもしれない)
・人に教えること、全体がうまくいっていることを確認すること
・結果を仲間と振り返ること(反省・賞賛)、語り笑いあうこと

ちょっと思い出すだけでたくさんあった。
そして今も私の中にあった。忘れていただけで。

理想のわたし

こういうことをパワフルにやることが私の夢。できるだけ全部やりたい。
好きで溢れていたい、満たされていたい。
そして、好きが実現できない人の悩みや苦しみに寄り添いたい。
好きなことだけで成功したわけではない、嫌いなことからも逃げられない苦しい時期を乗り越えて、それでも今生きている。
それって私の強みになるんじゃないのかな・・・

わたしの好きな私は、嫌いなものなんか自分の中に無いわたし。
好きなものだけで生きていけたらいいな、ずっとそう思っていた。
でも、嫌いとの付き合い方を知っている自分になりたくない、というわけでもない。
むしろ嫌なことでも踏ん張れる人の気持ちが痛いほどわかる。
やりたいことが実現しない、と悩んでいる人に冷たく「それは本当にやりたいことじゃないんでしょ」なんて私は言えない。
たくさん言われてきたけど、人には誰にも言えないことだってたくさんあるよな、って思う。
口にしたら言い訳になってもっと自分が嫌いになることもあるし、家族とか生まれ持った能力とか変えられないことが悩みの種ってこともある。

生きていくだけ、ってほんとに大変だと思う。
楽しい時はいいけど、辛い時期にはただ生きる=悩みしかない。(たぶん)
そういうことが今の私は前よりもわかるようになったけど、これは別に理想としていたわたしではない。むしろ逆。
でも一緒にいてみて、別にこんな自分も悪くないな、と思う。
もしこの経験が誰かのために活きることがあれば、尚更そうかもしれない。

水無月の私

わたしの好きな私が必ずしも理想のわたしではなくてもいい、心配ない。
ただ、これが好き、もっとこうなりたいと思い出すだけでいい。
そういう想いが未来の自分に届いて、理想の自分を引き寄せてくれることがあるかもしれない。
今月はそう信じてみよう。

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