持田さん連載イラスト__1_

「折詰」 ~ 小さな世界の清なる匂い ~

ネットフリマの商品受け取りで、初めてその駅に降り立った。谷根千あたりの魅力的な匂いの街だが、待ち合わせまであまり時間はない。

大荷物を受け取ってしまえば、飲み屋を探して街をぶらつく楽しみもお預けだ。幸い、調べてあった鮨屋が駅から近くにあったので、評判の穴子寿司を”おみや”にすることにした。

六時台でカウンターに客の姿はなく、つけ台の前で初老の大将がひとり「いらっしゃい」と迎えてくれた。折詰を頼むと、少しお待ちくださいと言って、奥に声をかける。テーブル席で待つ私に熱い緑茶が届けられ、ようやく客の体裁が整った。

古いけれどこざっぱりと気持ちの良い、町の鮨屋さん。「箱代200円いただきますが、よろしいですか?」無駄なく丁寧な説明も好ましい。時間のある時なら、カウンターに移動してちょっとツマみたいところだ。

***

家に帰り、店の名前の入った紙の手提げから折を取り出して、ホウとなった。

昔ながらの包装紙にぴしっと包まれ、細い紐が掛けられた方形の折詰の美しさ。もったいない思いで包みを解くと、折箱の爽やかな香りと共につやつやした小ぶりの鮨の列が現れた。

タンセイという言葉が頭に浮かぶ。「端正」「端整」「丹誠」「丹精」、どれにも相応しい、美しいたたずまいだった。

折詰らしい折詰を買ったのは、いつ以来だろう? 塗のお重や、ましてやプラスチックではない、美しくいい香りのする木の折箱。簡素で軽い造りながら、蓋と身がぴったりと合い、中の鮨を大切にそして清潔に守っている。

なぜか、十代の頃に読んだ小説の逸話が思い出された。兵隊として戦地に送られた青年が、ひもじさから毎日食べ物のことばかりを考える。その中で、何よりも強烈に夢にまで見たのが、これまで気に留めることもなかった”折詰の駅弁”だったという話。

杉折の匂いを嗅ぎながら、底に貼りついた白い飯つぶを残さず食べ切ることを夢見る兵士の想い。それはもしかすると、ただのノスタルジーではなかったかもしれない。

清潔で、飾り気がなく、コンパクトで、礼儀正しい、遠い祖国「日本」の匂いを、折詰弁当に求めていたのではないか? 端正な鮨折を前に、私には遥か昔の読書の記憶に、新たな思いが重なる気がした。

私は食べ終わった折箱をきれいに洗い、何かに用立てる機会を楽しみにした。それは後日、友人へのお土産の「手作り餃子」の箱として嫁いで行った。

【連載】余白の匂い
香りを「聞く」と言い慣わす”香道”の世界に迷い込んで十余年。
日々漂う匂いの体験と思いの切れ端を綴る「はなで聞くはなし」
前回の記事: 「無為」 ~ つらつら匂い考 ~

著者】Ochi-kochi
抜けの良い空間と、静かにそこにある匂いを愉しむ生活者。
Photoマガジン始めました。「道草 Elegantly simple

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