持田さん連載イラスト__1_

「慈雨」 〜 Calling you 〜  (5)


雨の日が苦手と言う私に、その人は飛び切りチャーミングでパワフルな”おまじない”をくれた。

「此処はパリ!」

そう声に出して言うだけで、窓の外は景色のパーツそのままに、パートカラーの映画のようにニュアンスだけをハラリと変える。
冷たくくぐもった鉛色の街がしっとり落ち着いた艶を見せ、霧雨のスクリーンはソフトフォーカスの画面、路地の向こうには先の読めない出来事が手招きしているようだ。

寒さが厳しく曇天つづきのパリの冬を、私は一度しか体験していない。
それでも友人が口にした”たった5文字”のおまじないで、私の部屋は十六区のこぢんまり洒落たホテルの一室に変わる。
最悪の出張だったはずなのに、なぜかそう悪くはない記憶として残っている。Ca, c'est Paris!  そう、それがパリってことなんだろう。


憂鬱な気分を塗り替えたら、部屋を温かくしてカフェオレでも淹れよう。
お喋りなテレビを消してラジオの音楽を流そう。

気前のいい移動祝祭日は、地球儀の果てのこの部屋にも惜しみなくやって来てくれる。「Paris」ただその名を呼べばいい。

雨の匂いのする部屋に、ゆっくりと濃いブラックコーヒーと温かいミルクのほどけた香りが漂い、閉じていた気分もぼんやり周囲の輪郭と溶け合ってゆく。赤い傘があれば歩き出せるかもしれない。


おまじないをくれた友人は、突然の失意の季節を越えられず、都会を去り音信も途絶えてしまった。

You just call out my name 
..........and I'll be there. 
名前を呼んで。いつも貴方のそばにいるから。

キャロル・キングを聞きながら約束した私のおまじないは、役に立たないまま忘れられてしまったことだろう。

でもあなたは大丈夫。
本当は誰かの名を呼んでその力に頼らなくても、冷たい雨が降る鉛色の景色をとびきりの魔法でパリの空の下に変えられる人だから。
きっといつか、


雨の匂いのするうそ寒い週末は、カフェオレなんか飲みながら、その香りの中に離れて行った人を思い出している。

Calling you.  名前を呼び続けているのは、そう私の方かも知れない。


【Play List】
”You’ve Got a Friend” / キャロル・キング
”Calling You” / ジェヴェッタ・スティール
【連載】余白の匂い
香りを「聞く」と言い慣わす”香道”の世界に迷い込んで十余年。
日々漂う匂いの体験と思いの切れ端を綴る「はなで聞くはなし」
前回の記事: 「香道」 ~ 漂うように 〜 (4)

【著者】Ochi-kochi
抜けの良い空間と、静かにそこにある匂いを愉しむ生活者。


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