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「梅雨明け」~ 父の残り香 ~

まもなく父の七回忌を迎える。
そのせいか、この頃ふとその人を思う時がある。

父が亡くなったことで、私はことさらに泣いた記憶がない。同じように母や妹の涙も見たことが無い。一度だけ妹が声を上げて泣いたが、それは直前の体調の変化に気付かなかったことへの”後悔”で、悲しさや寂しさの涙とは違う気がした。

いなくなった実感が乏しいからかも知れない。
「パパのことだから、その辺フラフラしてるわよ。お墓なんかにいるわけ無いし。」
あの頃も今も、私達はそう言いあい笑っている。

木の枝のような痩身に、飄々と穏やかな風貌で、ふわりふわり宙を行くようなちょっとユーモラスな歩き方が目に浮かぶ。読書とダンスを友に、八十を過ぎてからは衰えるというよりだんだん軽く透明な人になってゆくような、そしてある日煙か霞のようにすーっと消えた。

倒れたと聞いて駆け付けた病室。弱まってゆく心電図の光を見ながら、怖がりな父に「大丈夫、このまま行っていいからね」と心の中で繰り返し、神様の優しいお迎えを祈っていた。
dim. (だんだん弱く) ~ pp(非常に弱く) ~ ppp (ごくごく弱く)
そんな音楽記号が明滅していた。

「パパは本当にムシューで助かるわ」そう母が繰り返していたように、特に高齢を迎えてからは本当にサッパリとして嗅覚につながる記憶がない。だから私にとって「匂い」はむしろ気配や佇まい。あの無色でふわりと優しい、そしてちょっとユーモラスな空気が父の匂いだ。

残されたものを泣かせるでもなく、寂しがらせるでもなく。
今もそこにいるような、そうではないような。
あるか無きかの残り香がいつの間にか空気に溶けてゆくような、そんな羨ましい消え方。写真の笑顔だけが今のリアル。

✳︎

実家を処分する前に、父の残した「十年日記」を拾い読みした。製図のような几帳面な筆跡が、最後の頃はひょろひょろと力なくページから流れるばかりになっていた。ああ、本当にローソクが消えるように逝ったのだなあ。そんなことを想いながら、辿り着いた最後の一行。

「今日梅雨が明けた」

パパ、これはちょっと上手すぎるんじゃない?
ちょっと笑った。そして少しだけ泣いた。

【連載】余白の匂い
香りを「聞く」と言い慣わす”香道”の世界に迷い込んで十余年。
日々漂う匂いの体験と思いの切れ端を綴る「はなで聞くはなし」
前回の記事: 「散歩」 ~ 雨の匂いのする街 ~

【著者】Ochi-kochi
抜けの良い空間と、静かにそこにある匂いを愉しむ生活者。
Photoマガジン始めました。「道草 Elegantly Simple」

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