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樹々と共に①

光が降り、そして差す。木漏れ日は温もりを湛え、精いっぱいに降り注ぐ。そして垣間見る。姿が映し出される。

空へと登る一筋の柱。

その柱の内側に、2人。暗い森の中で、異質に光る男女の2人。

女が男の頭を抱えながら、降り注ぐ光を遡ろうと、空に首を伸ばす。顔は照らされていて見えない。

聞こえるのは、歌。慈しみに満ちたその声は、少しずつ光を淡くさせる。

まるで、持って行くなと泣くように、そう聞こえる。


数日前、あたりを照らすものは何もなく、ただ暗闇ばかりが広がっていた。その中で蠢く生命は、光の存在をなかば忘れているように見えた。

ひとりの少女が、少年と出会う。その少年は、光の存在を求めてこの森に彷徨い込んだ迷い子。あまりにも暗い森の中で、じっとしている他無かった。

木の根にもたれ掛かり、鬱蒼としげる樹々の葉を憎らしそうに眺める迷い子の噂は、村に広がっていた。

突如現れた幼き男。女しか居ないその村にもたらすのは、吉兆か災厄か。夜目が利くという理由だけで戦に駆り出される男たち。ひとり残った男は数年前に深き眠りに堕ちた。

指導者不在の村、臨時の長は突然の事態に恐れ慄き、そして目を背けるように寝屋に引きこもった。

最初に少年に声を掛けたのは、好奇心旺盛な少女。何を求める訳でもなく、ただ興味が湧いたから声を掛けた。ただそれだけだった。

少女にだって、事の重大さは分かっていた。村全体が慎重に対処しようとしていたことは肌で感じていた。「対処」。この言葉の意味するところを、少女は知っていた。

「こんなところで、なにしているの?」

真夜中にひとり村を抜け出した少女は、憎らしげな目をした少年にそう問う。

すると少年は、たいして驚いた素振りもせず、ただ樹々の葉を眺めながら、

「いつになったらこの森に光が差すのだろう、って考えているんだ」と、答えた。

「ひかり?なぁに、それは」

「光を知らないのかい?それは勿体無いね。いや、違う。それがキミたちの日常なのであれば、僕が『闇しか知らない』ことを羨むべきなのかもね」

「なにいっているのか、わからないわ」

「分かりたいのかい?」

「しらないことばかりなのは、もうあきたもの」

「じゃあ、近くまでおいで。大丈夫、僕はもう永くない。取って食ったりはしないさ」

少年はそう言うと、少女へと目を向けた。先程まで頭上に向けていた憎らしそうな目ではなく、ほどよく垂れ下がった優しい目に変わっていた。

懐から、何やら小さなものをふたつ取り出すと、手のひらに乗せて少女へと差し出す。

少女にはそれが最初は木の実に見えた。近付いてよく見てみると、知らない材質で出来ていた。それでも何かは知っていた。それそのものではなく、材質を知っていた。

「ぷらすちっく……?」

「よく知っているね。そう。こうやって使うんだ」

少年はそう言うと、自身の耳にその木の実らしきものを詰め込んだ。

「右と左は分かる?」

「ばかにしているの?」

「プラスチックを知っているくらいだもんね。それは失礼した。こっちを、右耳に」

先程まで少年の右耳に入っていたものが、少女に手渡される。

そして同じように、左耳に挿れていたものも少女に手渡される。

少年の見様見真似で耳にはまる少女。

「これは、VSEっていうもの。Vision Share Earphoneと言うんだ。敵性語、わかる?」

「ぶいえすいー……びじょん、しぇあ、いやほん……」

「流石にそこまでは分からないか。じゃあゆっくり説明しよう。って言っても一言で終わる話だけどね」

僕の感覚を、キミに伝える為のものだよ。

少年はそう言うと、少女の額に、人差し指をかざした。

真っ先に少女は驚愕する。あたり一面に広がる色彩の海に溺れそうになる。あたりを見回そうとするが、額にかかる力が強く、首が動かせない。それも相まって、情報量に溺れ死にそうになっているところで、少年の声が頭の中で響く。

「動かないでいいよ。僕が視点を動かすから。ひとつずつ説明しよう」

これが、花。

はな。においをかぐものとはちがうの?

それは鼻。これは花。

はな……はな……

本で読んだことあるだろう?

なにかしっているきがする。

光と無縁だから、花とも無縁なのかな。木漏れ日も差さない森だから、仕方ないのかもね。それで、あれが湖だ。

みずうみは、しってる。でもあんないろしていたかしら。

色は知ってるんだ。

あかいものにはちかづくなっていわれているの。

火は危ないからね。

そう。でもあのいろは、みたことない。おばあさまならしってるかしら?

多分ね。その頃はきっと、こんな暗くなかったはずだから。あれは青色っていうんだ。青にも色々あってね、紺、藍とか。

あお、こん、あい。

そうそれらは全部一緒くたに青色ってされちゃうことが多い。ほら、あの手前の、赤い鳥だとまっている近くの水は明るいだろう?でもその奥、橋の近くは暗い。明るいところが青、暗いところが紺。

おなじいろにみえる。

慣れが必要だからかな。足元を見てごらん。これはキミの知らない緑のはずだ。

わっ、まぶしい。

まぶしいのは、足元の葉っぱに光が反射しているから。

また、ひかり。

そう。このVSEは欠陥品でね。本当なら光の温もりを共有してあげたかったんだけど。

ぬくもり?それはひのちかくにいるときとおなじ?

と言うよりは、お母さんとかお父さんに抱きしめられているのが近いかな。

おかあさんいない。おとうさんってなに?

そういう生き物だよ。だいぶ偏った本を読まされているんだね。

かたよった……?

何でもないさ。僕が口出すようなことでもない。いちばん好きな人は誰?

おばあさま。

おばあさまに抱きしめられた時どんなことを感じる?

むねのおくが、じんわりする。

そう、それが温もり。同じように身体全体がじんわりするんだ。肌も、頭も。

「これが、光」

少年は少女の額にあてていた人差し指を動かすと、目を開いた少女にそう言った。

目の前は変わらぬ暗さに満ちていて、一瞬少女は暗順応する為に目を細めた。そしてそれすら要らないことに気づく。実際に輝いていた世界は直接少女の脳に映し出されたもので、器官としての目は閉じられたままだったのだから。

「はじめてみるものばかり」

「どう感じた?」

「どうっていわれても、わからない。しらないから」

「そうだね」

難しいなぁ、と少年は一つ息を吐く。

「でも、もっとみたい!」

少女は臆する心を隠すように、肥大した好奇心を曝け出す。

「そうか、じゃあまたおいで。僕はここから動かないから」

「またくる!」

別れを告げて、少女は少年の元を去った。

村へと戻る少女の後ろ姿を眺めながら、少年はひとりごちた。

「こういう最期も悪くないよね。ばいばい博士。僕はもう戻らない」

樹々の葉を眺める少年の目は、優しく慈しみに満ちていた。



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