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[小説]デブでブスの令嬢は英雄に求愛される 第19話

 実はロザンナ・シーガルはジュリア・レーゼルバールと同等の伯爵の地位を持つ、しかしそれ以上に長い歴史を持つ家系のご令嬢であった。

 鉄のように重苦しい血筋に縛られた家に生まれ、ロザンナはさほど労も感じずに完璧に期待に応え続けた。
 優れた教養に優雅な立ち振る舞い、節度のある付き合いに調和の取れた環境。

 そうしてたどり突いたのが婚約破棄だ。

 ロザンナは大してショックを受けていない自身にショックを受けた。
 ロザンナの妹は決して完璧ではなかった。
 天真爛漫と言えば聞こえはいいが、要は浅慮で感情的。教養はそこそこあったが、味方がそこそこいる一方で敵も非常に多い。
 周囲の皆はロザンナに同情的で、婚約破棄後もロザンナの立場が揺るぐことはなかった。
当然だ、だってそのようにロザンナはずっと生きてきた。
 たかが婚約破棄程度で揺るぐような土壌など、築いてきていないのだ。

(けれど何故かしら……?)

 いままで完璧に振る舞い、満たされていたはずだった心にぽっかりと穴が開いてしまったようであった。
 あれはいつのお茶会のことだっただろうか。
 ぽっかりと心に穴が開いたままでも、完璧に振る舞うには困らない。ロザンナは条件反射にも似た動作でぼんやりと庭園でお茶を嗜んでいた。

――ロザンナ様、あまり気を落とされないで。
 ええ、そうね。
――ロザンナ様、婚約が無くなったと言うことは自由ということですわ。もっと相応しい殿方がロザンナ様にはいらっしゃいます。
 ええ、そうね。
――ロザンナ様、いっそ爵位を授与されたらよろしいわ。裏切り者共に与えるなんてとんでもない。ロザンナ様なら立派にお家を継ぐことが可能ですわ。
 ええ、そうね、それもそうだわ。
――ほら、あの方だって、女伯爵ですって。私達よりもお若いのに。

 そう言われて視線の先にいたのは随分とふくよかな少女だった。
 まるで豚まんのようだわ、その姿をみてロザンナは思う。
 赤いふりふりのレースを着た白い豚まんだ。

「美味しそうね」
「えっ」
「え!?」
「ええっ!?」

 ロザンナが思わず零した言葉に、周囲に侍っていたご令嬢は驚きの声を上げた。その鳩が豆鉄砲を食らったような顔に、ロザンナは思わず吹き出してしまう。
 気がつくとロザンナは大声で笑い出していた。今までしたことも無いぐらいに下品に、お腹を抱え、涙を流し、大口を開けてげらげらと笑う。
 しまいには、近くまで来ていた豚まんのことも指さして笑った。

(ああ、なんて、不完全って楽しいの!)

 ロザンナは初めての完璧ではない振る舞いに酩酊してしまっていた。
 だってあまりに気持ちが良いのだ。
 これは堕落だと頭の隅にこびりついたよすがが囁いているのに、止めるにはあまりにそれは甘美で心地良かった。
 その痴態に周囲を囲んでいた令嬢は青ざめ、その場に居た他の者達は眉を顰めた。柳眉を吊り上げたのは豚まんだけだ。

「何よ、貴方、失礼な人ね」
「だって貴方、まるで豚まんのように太っているのですもの」
「太っていることの一体何がそんなにおかしいのかしら?」
「太っていることはおかしくありません。豚まんのように太った貴方を見て、美味しそうだと考えてしまったわたくし自身のことがとってもおかしくてたまらないのです」

 それとそれを呟いた途端に見せた周囲の間の抜けた表情もだ。
 あんまりに気持ちよく笑っていると、目の前に立っていた豚まんは呆れた顔をしたようだった。

「貴方ったら、とんでもない笑い上戸なのねぇ。別にそんな考え、そんなに笑うようなことではないわよ。むしろ食べられるんじゃないかとぞっとするわ」

 その言葉になおさら笑いが止まらなくなった。
 空に輝く太陽に届くのではないかというほどに声を上げて笑うロザンナに、周囲の人々は徐々に距離を取り、やがていつの間にか居なくなっていた。当然だろう、今のロザンナはまるで狂人だ。その頃になってようやく笑いが収まり、目の前にまだ豚まんが立っていたことに気がつく。

「あら、貴方、まだそこにいらしたのですか」
「居ちゃ悪い?」
「悪くはありませんが非常に不可思議です。他の皆様はいなくなってしまったのに、どうして貴方だけは残られたのですか?」
「貴方があんまりにも大口開けて笑うから、顎でも外すんじゃないかと心配になったからよ」

 誰かがお医者に連れて行ってあげなきゃいけないでしょう、とむくれて言う豚まんに、ロザンナは驚いてまた少し笑ってしまった。

「貴方、随分とお人好しですね。わたくしのようなおかしな人間、放っておけば良いでしょうに」
「放っておくかどうかは私が自分で決めるわ。おかしな行動をする人間を避けるかどうかもね」
「なぜ、わたくしを避けないのですか?」
「避けるべきはおかしな人間ではなく、私に害をもたらす人間だからよ」

 つんとすましたつもりらしいその顔をまじまじと見つめる。
 二人の頭上では風に押し流された真っ白な雲が真っ青な空を優雅に泳いで通り過ぎて行くところだった。
 それをなんとなくぼんやりと見送った後、なんとなく会話を続けたいような気になって、ロザンナは思いついた言葉を適当に放った。

「わたくし、完璧ではなくなってしまいました」
「完璧なものなんてあるの? 少なくとも私はそんなつまらないものに興味はないわ」
「完璧ってつまらないものでしょうか?」
「少なくとも面白みはないわね。変化する余地もなさそうだし」
「では、わたくしはつまらない人間でしたね」
「貴方が? 完璧な存在はきっと不完全になれないわ。だって完璧ってそんな簡単なものじゃないでしょう? 今の貴方が不完全なのだとしたら、それはきっと元から不完全だったのよ」

 目を瞬く。そうか、自分は不完全だったのかと、目から鱗が落ちるようだった。
 そんなことは初めて言われた。
 まるで初恋に落ちるかのように、目が醒めて初めて目にする太陽の光に目を細めるかのように、新鮮で斬新な気持ちになってロザンナは胸をときめかせながら明るく訊ねた。

「わたくし、もっと不完全な人間になりたいです」
「もう十分に不完全だから、それ以上不完全にならなくても大丈夫よ」

 その返事にロザンナはうっとりとした。
 彼女の返事はとても素敵だ。初めて言われることばかりで胸が弾む。その言葉は到底完璧なものでも正確なものでもなかったが、ロザンナの心を確かに打ちつける力を持っていた。

「では、次は一体何を目指しましょう?」
「よくわからないけど、目指したいものがないならそのままでいいんじゃないかしら?」

 貴方、そのままで十分に面白いわよ。そう告げる二足歩行の豚まんに、ロザンナは心を確かに奪われたのだ。

 見つめていたあの日のように晴れた空から視線を戻し、ロザンナは目を伏せた。

「空に浮かぶ雲などと……、なんとも詩的で素敵な表現ですね。気に入りましたのでぜひとも今後は『漂う浮雲』を二つ名として自称させていただきたいと思います」
「そこに話題が戻るの!? てっきり理由の説明があるものかと思ったわ!」

 というかなんだ二つ名って。
 困惑するミリディアにロザンナは苦笑を返す。それにミリディアは息をのんだ。
 彼女のその笑みが、あまりに明るく生き生きとして可愛らしかったからだ。
 ロザンナはそのまま笑みを深めると一礼して見せた。

「王女殿下、この度はどうぞこのレーゼルバールでのご滞在をお楽しみください。一同、心よりご歓迎申し上げます」

 上げられた顔にはもう笑みはなく、いつものつんと澄ました表情だけがあった。それは晴れやかな笑みの理由など他人に話す必要はかけらもないのだといわんばかりの態度だった。

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