空に夏がかかる夜に。
世間は新生活から2ヶ月。
今日、上京して2年と2ヶ月なった。3年目の東京が始まっている。
大学卒業まで、東京には何度も来た。
遊びにも就活にも、デートにも。
何度来ても毎回どことなく緊張して過ごしていた東京。
当時のわたしにとっての東京は、憧れはないけどキラキラしていて“なんでも”ある街だった。
大学1年生の頃は、東京の大学に行った友達にコンプレックスを感じていたような記憶がある。曖昧だけど。
もっと昔。
高校1年生のときは周りが関西の大学を志望する中、ひとりだけ「絶対に東京」なんて豪語していた。息苦しくて、めんどくさくて、暑苦しい地元を出たかった。出ることだけが目標で、出たその先なんて考えていなかった。
当時の彼氏とは同じ意見で、高校が違ったから、絶対に東京で一緒になろうなんて甘ったるい口約束を交わしていた。
東京にいけば「幸せ」になれる気がしていた。
社会人。
2年経った今、もう乗り換え案内を見なくてもなんとなく乗り換えができるようになり、新宿にも渋谷にも池袋にも緊張どころか、アウトドアの帰りにはどの街もジャージにスウェットで歩けちゃうようになった。
東京に来て緊張していた昔に泊まったホテルもたくさんあるけど全部忘れた。
神泉なんて、清澄白河なんて、代々木上原なんて、都立大学前なんて、はいはいって感じだし、恵比寿には飽きた。恵比寿に飽きる日が来るなんて2年前は想像さえつかなかった。
年月を追うごとに「東京」の解像度があがっていく。
ぼやっとしていた「東京」が、まるで度数がぴったりのメガネをかけた時のように見えるようになってきた。
大阪にも名古屋にも札幌にも福岡にも仙台にもない、東京の面白さ。
ものごと全て、解像度が上がる方が面白い。
東京も例に漏れず、そうだった。
東京に出てこなければ知らなかった世界が広がっている。出てきたからこそ見える世界がある。
幼稚舎から大学までずっと私立?中高一貫?なるほど、その子たちには見ることができないものが見えている少しの優越感。そしてその子たちがみてきた世界を今更でしか知り得ない悔しさ。
本当は地元で教師をしている元恋人と結婚式を挙げたかった。そんな未来だって見えていた。
24歳、だいぶ大人になったけれど、立ち止まると息が止まりそうになる瞬間はいつだって今だって「もしあのとき違う選択をしていたら」と考えたとき。
「あのとき=人生の分岐点。」
ただ、そんな瞬間さえ相当減ってきた。
もっと激しく感情が動く瞬間が、どうしようもなく闇に落ちる瞬間が、言いようもない刹那さに襲われる瞬間が、思考が止まってしまうくらい昂る瞬間が。
世界が水色にも、橙色にも、黄色にも、桃色にもなるあの感覚。
いやいや「今が一番若いのよ。」なんて励まされながら明日も24歳、駆け抜けていこう。
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