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どこにでもいる人間の半生8

長女が不登校になったのは中学校2年生に上がり、GWが明けてからだ。

パッタリ行かなくなってしまった。

はじめは理由を聞いても渋って話してくれなかったが、次第にゆっくり口を開いてくれた。

苦手な子が同じクラスになった。
警戒していたけれど、悪口や陰口を言われるようになった。

それを聞いて私はなんともやるせなかった。

長女は幼い頃から、例えば体型がぽっちゃりしている事で保育園の頃は悪口を言われた。

小学校でも何度か似たような事があった。

その度に私は学校や相手方の親や子に聞き取りをし、どう言う経緯だったのか、我が子にも過ちがあったのではないか、どうすれば仲良くできるのかを模索して積極的に動き回っていた。

私がやるせなかったのは、私が動き過ぎたと思ったからだった。

長女はたった悪口ひとつを中学生にもなって自分の力で解決しようと言う意思がない、意識にないのだ。

私がでしゃばりすぎた、この子の成長の邪魔をしてしまっていたのだと思った。

もちろん、私とは性格も違う。

私なら言い返すであろうし、どうにか論破してやろうとしたり、何とでも言い負かす自信もあれば、その相手とすら友達になる自信さえあった。

娘はそれができない、優しいのか、気弱なのか、家では大臣のようにどっしりして弟を束ね、時にはジャニーズを見て気が触れたのかと言う程ハイテンションで私に話をしてくるのだけれど、外では自分を曝け出せないでいた。

今考えてみると、私に良く似ている。

気質さえ違えど、内弁慶過ぎるのである。

私は真剣に娘に向き合った。

学校側とも何度も何度も話をし、時には先生が家に来たり、時にはこちらから伺ったり。

スクールカウンセラーに相談もしたし、市のカウンセリングにも何度も連れて行った。

私は娘が学校に行きたくないならそれでよかった。

けれど、娘に悪口を言い傷つけてきた子は元気に登校しているのだと思うと腹立たしかった。

進学も控えている、内申点にも関わるだろう、長女はただでさえ勉強は苦手だった為、焦りもあった。

時には長女を叱責した、学校に行けなくてもいいが、一日中だらりと過ごすのは違うだろう!と。

時には感情が昂って電話越しに先生に泣きながら、これ以上どうすれば良いのですか!と怒鳴った事もあった。

結局、長女は中学校3年の1学期いっぱい学校には行けなかった。

長女は幼い頃から保育園の先生になりたいと言っていた。
これは私が保育園の先生とかになれたらかっこいいね!と、よく言っていたので、刷り込まれてしまったのかな、と気にかかっていた。

しかし、長女は土壇場で踏ん張った、2学期だけは別の教室ではあったが登校する事ができた。

そして、私立の保育科がある高校に専願で受験した。

受験1日目は、朝早くから身支度をして、玄関先まで行けたが、外に一歩踏み出す事ができなかった。

そこではじめて、彼女も私のような苦しみと戦っているのではないか、と思った。

遅すぎたのかもしれないが、自分が経験してはじめて、そう考える事ができた。

私がかかっていた精神科へ一緒に連れて行った。

うつ病とまではいかないが、不安や緊張が大きいんだね、と主治医の先生は優しく娘に話してくれた。

そう言った気持ちを和らげる頓服を貰った。

そして受験予備日、最後のチャンスの日。

娘はなんと自分で自分の殻を破った。

受験に行く事ができた。

私は娘が誇らしかったし、とても頑張ったね、と声をかけた、本当に嬉しかった。

合格発表の日、ドキドキしながら結果を待った。
担任の先生から連絡が来る。

高校、無事に合格しました!
ただ、希望の保育ではなく福祉課での受け入れになるようです。

私は、娘の気持ちを思うと残念であったが、娘はそれでも高校に行きたい!と言った。

それからしばらくして、入学準備をしていた頃だろうか、担任の先生から再度連絡を受けた。

なんと希望していた保育科での受け入れが可能になったと言うのだ。

私立を滑り止めで受験した子が、公立の志望校に受かったのか、枠が空いたのだろう。

それはもう歓喜した。
これは娘の大切な岐路であったし、娘の高校生活においてもモチベーションが違ってくる。

娘は手で口を覆うように驚いた後、喜んですぐに友達に連絡を取っていた。

そして無事に高校に入学し、今は中学校の頃がまるで嘘だったかのように、毎日明るく元気に登校している。

なんと学級委員長をしているのだ。

これは娘のたった一歩、しかし偉大な勇気と、神がかった幸運が成し得た、娘の人生の一コマである。

私は長女の不登校の問題において、間違っていたんだな、と思った。

学校に行けるようにしてあげたいと躍起になっていたけれど、そうじゃなかったのだ。

学校なんか行かなくていい、行きたければ行けば良い、ただしメリットとデメリットの説明はよくよくする事、毎日顔を突き合わせ、話を共有して共感する。

何も肩肘張らなくて良いことだったのだ、と思った。

最後は自分次第なのだから、私がそうやって生きてきたじゃないか、と、そう思った。

原動力は自分の中にあるのだ。

私は娘のおかげではじめて母になれた、たくさん失敗して、たくさん傷つけただろう。

私は子ども達と一緒に成長してきた。

これは娘がいなければ始まらなかった。
生まれてきてくれてありがとう。

私を母にさせてくれてありがとう。

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