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Vol.1.3 Come back!! 集中力


以前はもう少し集中力はあったはずなのに、にひとつのことに集中して取り組むことができなくなった。

そうなった原因はわかっている。
でもだからといってその原因と今のこの現状は関係ないと思っている。それから脱出できたとこで体に空いた穴は塞がらない。

このままではダメだとなんとか私に張り付いた原因を取り除こうと何度も試みた。原因を忘れようと自分がやりたいこと、新しいことに挑戦した。その時は楽しいと思えたりもっと成長したいという意欲が湧くけど、ふと原因が頭をよぎると一気に引きずり込まれて途端にやる気を無くす。一体これを何回繰り返すんだろう。もはや癖になっている。

あの…私さん。そろそろ立ち直ってもらっていいですか?自分そこまでドMじゃないんだけど?


このnoteも何回も書き直している。自分が何を言いたいのか。改行するたびに言いたいことがバラバラでまるで統一感がない。他の人の記事は言いたいことが明確でかつ簡潔。書き殴ると言いながらも読みやすいし面白い。こういう事を自然とできる人が心底羨ましい。私のようにこんな下手な記事誰も読まないし何度もやめようと思ったけどnote様様の無類の優しさにあやかり、こうして目も当てられない記事を書かせていただいている(note様ありがとうございます)



私は今、別名義で挑戦していることに対しての周りの評価はほぼ無いに等しい。批判ではなく無反応。それはそれでツライ。泣く。自分には才能なんてないんじゃないか。このままひっそりあの場からフェードアウトしても誰も気づかないだろうな。

そんな自己肯定感駄々下り&劣等感だらけな時にたまたま読んだ本に

天才とは才能ではなく、情熱なのです。
天才とは素質ではなく、執念なのです。

という言葉が目に止まった。

『なぜジョブズは、黒いタートルネックしかきなかったのか?』ひすいこたろう+滝本洋平 著



ああ、そうか。みんな見せないだけで努力しているんだ。『神』と崇められるあの人たちも失敗を何百回も何百回もしてよやく得たものなんだ。

だったら私なんてちっぽけなものだ。
そもそも世の中こんなに人がいて、その中で見つけてもらえる人なんてほんのひと握り。それにあの場は評価されたときの脚光が必要以上に眩しく見えるところだ。これは修行だ。いや死ぬまでこの修行をしていたい。耐えれることが私の強みでもあるのだから。

この修行がいつか身を結ぶ事を願って、自分の刃を研いでおこう。


私にはやりたいことへの才能はない。ただやりたことが好きなだけ。それをやっていてもっともっと上手くなりたい、極めたい。でもご飯は食べたいし、寝たい。それでもいいじゃないか。体にポッカリ穴が空いたような感じは今もあるけど、私にはやりたいことが残っていた。それだあるだけ十分じゃないか。やりたいことに没頭する集中力が取り戻せたら、穴もいずれは塞ぐだろう。

完全に塞がなくても昨日より小さくなってくれていればそれでいいから。

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