見出し画像

ウクライナ侵攻から1年 〜1年前、モスクワにいた日本人の独り言〜

あの日の朝は、晴れていた。雲ひとつなかった。澄み切った青空に雪をかぶった木々の白はよく映える。窓から差し込む朝陽はキラキラしていて、春の訪れを密かにお祝いしているかのようだった。

Доброе утро(おはよう)! 窓から見える優しいタッチで描かれた水彩画のような空(неба)は、добрая(優しい)という言葉がぴったりだった。

2時間前、隣の国で何が起きたのか、君は知っている。それでも、何ひとつ表情を変えなかった。涙を流さなければ、呼吸さえ荒くなかった。もう1度言う。2022年2月24日のモスクワの朝は、絵葉書のように穏やかだった。

ロシア、ウクライナへ侵攻。スマホが小刻みに震えていた。スマホを持つ手はブルブルしていて、過呼吸になっていく。頭を大きなハンマーで打たれたようにクラクラしてきた。部屋の机やタンス、窓からの風景は、ピントが合わない。目に映る全てのものの区別がなくなってきた。

その速報、嘘だよね?失いかけた気力を取り戻し、SNSを漁る。どのメディアも特別軍事作戦について報じている。ロシア軍がウクライナに侵攻している様子やライブ中継が、エンドレスに流れてくる。Youtubeでロシアと日本のニュースを聞いてみる。うんざりだ。静かに音量を下げて、LINEを開く。

「大丈夫?危険はない?」頬が冷たい。涙がつぅーっと伝っていた。

日常は、少しおかしくなり始めた。犬の散歩を楽しむおじいちゃん、孫と公園で遊ぶおばあちゃん、ベビーカーを連れて隣を歩く子供に何かと注意をしながら買い物をするお母さん。彼らが歩く街の閉店したドアやビルの壁には、反戦メッセージが書き殴られていた。その下に、うっすらと反戦メッセージが見えるものもある。誰かが書いた。それを当局が消した。そしてまた誰かが負けじと書いたのだろう。

電柱にも、нет войне(戦争反対)が溢れた。ノートを破ったのだろう。歪な形をした切り紙に大きな文字で手書きで書かれたメモが、貼られては剥がされ、また貼られていく。私の住んでいた寮の近くにある電柱も、例外ではなかった。それだけではない。プラカードを掲げ無言で立っているモスクワ市民も目立ち始めた。

駅の周辺や広場からは、нет войнеの力強い合唱が聞こえるようになった。だけど、、、紙や文字が消されるように、平和を願う人も消されていく。それでも帰国までの1週間で、反戦メッセージや抗議をするモスクワ市民を見ない日はなかった。

小麦とバターの香りに包まれ、パンケーキのようなブリヌィというものを頬に頬張っていたのかもしれない。そんな春の訪れを祝うマースレニッツァ真っ只中の3月4日、私は6月30日までのビザと55キロのスーツケースと共に、ロシア最大の空港のチェックインカウンターに並んでいた。

人混みをかき分けながら、色んな言語と感情に揉まれながら、歩いていた2ヶ月前と同じ場所だとは思えない。電光掲示板には欠航の文字がしつこく並ぶ。聞こえるのはタメ息とロシア語だけで、列をなす私たちと職員の姿しか見えない。ただただ、寂しかった。

更に私を寂しくさせた出来事がある。パスポートコントロールの時だった。中年の男性職員は、アクリル越しからも感じる独特の圧を放っていた。パスポートを見せる。学業ビザを見る。彼の視線はビザから私へ。「今の情勢が理由か?」こくり。

「日本でご両親が心配して待っているだろうから、気をつけて帰ってください。また、ロシアに戻ってきてくださいね」。

あんな国にいなくて正解だったね、きっと人生の糧になるよ、そんな薄っぺらい励ましを浴びる日常が始まった。テレビでは、連日、戦況が報道される。そこには、モスクワで見て感じてきた世界が存在しなかった。ネットには、ロシアの人や文化を侵略者と一括りに非難するコメントが溢れている。

あんたたちに何がわかるの!?

反戦平和という当たり前のことを訴えては拘束された市民とは裏腹に、私は、何も声をあげられなかった。平和さえ訴えることができなかった。外国人で帰る平和な家がある。それを良いことに、どの街よりも愛したモスクワを見捨ててしまったのかもしれない。無力感に苛まされていた。

私の人生に彩りを与えてくれたロシアで暮らす人のために、何かできることはあるはずだ。あれやこれやと考える。自分が見てきた世界と近い報道をSNSでシェアをする。それしかできることがなかった。

そんなある日、ブチャでの虐殺のニュースが舞い込んできた。ボロボロになり始めていた心が、崩れ落ちていった。

1年経ってようやく、この経験を悪いものではなかったかもしれないと言えるようになってきた。

もちろん、腐るほど悔しい。美しいモスクワを見たかった。友達と国内旅行に行きたかった。ダーチャというロシアの人がほぼみんな持つ別荘に招かれて、シャシュリク(ロシアを含むあの地域の焼き鳥のようなもの)を食べ、バーニャ(ロシア風サウナ)でさっぱりしたかった。そして何より、美しく穏やかで平和なロシアが続いて欲しかった。

だけど、私には、平穏な日常がある。愛する家族や友達がいる。そして、夢を追いかけることができる環境がある。

日本とロシアの架け橋になりたい。せめてもの償いの意味も込めて、今度は堂々と戦争反対を叫びたい。なぜかごくごく普通の日常を奪われた人たちを見捨てたくない。そして、全く違うコミュニティーで同じような境遇に置かれながらも、歯を食いしばって生きている人たちに活力を与えることができたら。

2023年2月24日、大阪は雨がしとしとと降り続いている。君はこの1年で起きたことに耐えられなくなったんだね。泣くな。今日も多くの命が理不尽に奪われている。それでもそれ以上の命が、明日のために懸命にランプを灯し続けている。

МИРУ МИР(世界に平和を)!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?