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ラトビア紀行③ ラトビアとウクライナ侵攻
日本では、反戦メッセージやウクライナの国旗を街中で見るたびに、写真を撮っていた。
侵攻当初は、日本でも関心が高かったように思える侵攻も、今では、まだ続いているものとなりつつあって、関心が下がっているように感じている。
それもあってか、日本の街中で、この情勢に関して何か表現されていると、ビビビってくる。
少しだけ自分のことを。ウクライナ侵攻が始まった時、モスクワにいた。
言葉と文化を学ぶため、留学をしていた。
ただそれだけなのに、突如、留学生活は終わりを告げた。
これほどまで、無念という言葉がぴったりの瞬間は、この先の人生でもあるのだろうか。
詳しくはこちらをご覧になってほしい。
ラトビアに来る前に寄った、フィンランドやエストニアでも、ウクライナの国旗を見かけることは少なくなかった。
それでも、ラドビアに来て、街中のウクライナ国旗の多さには、度肝を抜かれた。
カフェの店内や外に、ウクライナ国旗が掲げられている。
トラムの窓に、ウクライナ国旗のステッカーが貼られている。
電柱や壁に、ストリートアートのような形で、ウクライナ国旗が描かれている。
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これらは、ラトビアの人にとって、特別なことではない。
初めは、水色と黄色の鮮やかな長方形を見る旅に少し気持ちが高まっていた。
人は簡単に適応する。
数日もすれば、ラトビアの日常に慣れ、感情の起伏はなくなった。
戦争とロシアを断固と許さずにウクライナを支持する気持ちは、非常に堅いようだ。
国旗掲揚以外の方法でもしっかりと意思表示をしている。
有言実行の例をいくつか挙げてみよう。
ウクライナ人の入館料を無料とする博物館がある。
スーパーでは、ウクライナ産のものは、値札に国旗が描かれている。
ウクライナ語のスクールや教材が、町の至るところにある。
ここまでは、大陸というヨーロッパでは、変わらない街並みなのかもしれない。
しかし、ラトビアは平均して、いわゆる「西欧」の国に比べ、より強い思いがあると推測できる。
歴史的な観点からだ。
それは特に、ナチスとソビエトに占領された歴史を伝える、占領博物館に行った時に強く感じた。
ウクライナは、ラトビアと同じように、ナチスとソビエトに占領された歴史を持つ。
博物館の入り口には、ウクライナの100年間の抑圧の歴史を振り返る展示があった。
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KGB(ソ連国家保安委員会)博物館では、ウクライナの歴史は触れられている。
ラトビア軍事博物館では、侵攻の実例を通して戦争の残酷さを伝える特設展や、ラトビア人がウクライナのために寄付して実際に戦場で使われた車の展示があった。
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同じ抑圧の歴史を持っているからこそ、たとえ、特別なデモがなくても、特に誰かが何かを言わなくても、社会全体で強いメッセージを共有しているように見えた。
そんな今でも、多くの人にとって、言葉に罪はないようだ。
ロシア語での会話は問題ない。
若い人の中には、ロシア語が全くわからない人もいるようだ。
幸にして、そのような出会いはまだ1回しかない。
ロシア語への嫌悪感を露わにされたことも1度もない。
むしろ、お褒めの言葉や強い興味まじりの驚きの反応をいただくことは、何回もあった。
なるほど、国や政府には、全力で抵抗するが、言葉を排除しようとはしないのか。
少なくとも私の目には、このように映った。
今では、私にとっても、ウクライナの国旗が溶け込む街並みは日常だ。
帰国した時に、きっと、悲しくなるだろう。
色々と言いたくなってしまうだろう。
それでも、せめて心の中では、ラトビアの光景を自分の日常として守っていきたい。
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