私が子どもに興味がある訳
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先日こんなnoteを書きました。
これを書いている間に、
あ、だから私子どものことずっと気になるんだな
そうあらためて気づきました。
振り返って考えてみると、子どもの頃からよくわからないものについて、ずっと考えてしまう性質でした。たぶん腑に落ちたいのです。納得したい。この性質が災いして、人間関係に悩んだ時期もありました。今は、時と場合により、わからないことをわからないままにしておくという技も身に着けました(笑)
大概の人は、自分の子どもの成長と共に、我が子以外の子どものことは忘れていくのではないでしょうか。だから子ども周りの問題って、なかなか改善しないのですよね。当事者がどんどん入れ替わっていくから。当事者になったときにそれを実感しました。
私もそのつもりでした。
我が子の子育てが終われば、ゆるやかに忘れれていけばいい。
だって、皆自分のことで必死なのだから。皆そうしてきたのだろう。そして今後もそうなっていくのだろう。
でも、私ずっと気になってしまって、忘れられませんでした。
私はどちらかというと、自分勝手で、人のためとか考えることのない人間です。
でもなんだか、子どものことが気になります。
もともと、子どものことだけじゃなくて、大人のこともそこそこ気になり、私のことをよく知る人からは、「よく他人のことそこまで真剣に考えるね…(あきれを含む💦)」などと言われたりもしますが、そうは言っても、大人相手だと、私の人生に関わらない人のことまで、そうそう考えたりしません…(と私自身はおもっています)。
でも、子どもはなんだか不思議に気になる存在なんです。
子どもって、自分勝手だし、しつこいし。
世話がかかるし。
騒がしいし。
でも、思いがけないことを言ったりやったりして、ハッとさせてくれたり、とにかく飽きません。自由です。(かと思うと、思いのほか不自由だったりもすることに出くわすと、うーんと唸らされますが)
気持ちをストレートに表現してくれます。その思いの強さに時に押しつぶされそうになることもありますが、そんなことも含めて、鈍って固くなってしまった自分の真ん中にある、最初はやわらかかった部分をぐいぐい動かされます。
なんでなんで?
と、子どもは私に聞くけれど、私も子どもに
なんでなんで?
と、聞きたいことだらけです。
私にとって存在そのものが不思議で、目が離せません。
私も持っていたはずなのに、どこかに置いてきてしまったり、失くしたくなかったのに失くしてしまったものを持っている。
あぁ、私、子どもに憧れているのかもしれない。
あんな風にできたらいいな。
かつて自分が子どもだったころに、押し殺してきた感情、気が付いてもらえなかった気持ち、おとなはみんなわかってない…そうやって怒ったりあきらめたりしてきたこと、子どものそばで過ごしていると、わーっと思い出すのです。
願わくば、子どもたちが子どもらしく、子どもであることを思う存分味わえる環境をつくってあげたい。その傍らで私も一緒に楽しませてもらいたい。私も一緒に私らしく生きていきたい。大人にとってもそんな世界は楽しい世界だと思うのです。
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