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無理がきかない。だから私は、体の声を最優先することにした。
年をとるって、いいものだ。
なにかと無理がきかなくなる。
だから、頑張りすぎるということが、すっかりなくなってしまった。
ど根性と強靭な体力とを持つ父親からは、「たかだか40代でそれは早すぎる」と呆れられるのだが。
20代のころは、お年寄りって、なんであんなにゆっくりなんだろうと、理解ができなかった。
お箸を持ち上げるのも、あいたたと言いながら立ち上がるのも、なにもかも、いちいちゆっくりなのが、わかるようで、本当には理解できなかった。
子ども時代は祖父母とも、曾祖父母とも同居で、その姿を目の前で見ていたにもかかわらず、「本気出せば早く動けるのでは?」などと思ってもいた。
それが、自分が40代に入ったとたん、あぁ、こういうことだったのかと合点がいった。
40歳の誕生日を迎えてすぐに、腰掛けるのも、立ち上がるのも、突然、それまでと同じようには、いかなくなってしまったのだ。
さっと座ろうとすると、地味に腰が痛む。
早く立ち上がるとピキっとなりそうな予感がして、こわいから、少しずつ筋を伸ばして立ち上がる。
頭の回転も落ち、それまでは、パッと回路がつながり、サクッとこなしていた事務仕事の数々も、脳をこれ以上酷使したら若年アルツハイマーにでもなってしまいそう…と思うほど、負担を感じるようになった。
さて、どうしたものか。
出した答えは、全てを、体に合わせて見直すこと。
なにもかも、体にお伺いをたててから決めること。
それまでは、なにか成し遂げたいと思えば、その目標にすべての照準を合わせて、生活を調整していく生き方をしていた。
会社の勤務時間は8時間と決められている。
保育園の送迎時間を加味したら、朝晩子どもと接する時間は3時間。
でも、子どもには手作りのご飯を食べさせたい。
寝る前に本も読んであげたい。
自分のために新しく勉強も始めたい。
だから、睡眠時間を短くして、早起きして家事をしよう。
自分時間も、早朝に確保しよう。
そんな感じ。
保育園の送迎で会うお母さんたちも、会社の先輩同僚もみんな、3時、4時に起きるのは当たり前だったから、子育て中ってそんなものなのだろうと思っていたところもある。
むちゃくちゃきつかったけど、30代までは無理が効いたから、そんな生活でも、なんとかこなせていた。
だけど、もう、そうはいかない。
だから、飛行機をオーバーホールするみたいに、
こんなにたくさんの洋服、自分でお手入れしていける?
こんなに広いお家、ずっとお世話していける?
このタイムテーブルで、これからも生活していける?
今の仕事、続けていける?
って、
「まず自分がすこやかであること」
を真ん中に据えて、全てを総点検した。
手放すもの、次の10年も共にしたいものを、ひとつひとつ選び直していった。
そうやって、頑張りすぎてしまうもとになっているものを、手放していった。
無理がきかなくなった今、頑張っていることといえば、ただひとつ、「自分を大切にすること」。
家族のため、社会のためと、自分をないがしろにして無理をしようとする癖が顔を出したら、そちらを選ばないことを頑張る。
自分の体はどう感じてる?って、立ち止まって、確かめることを頑張る。
壊れて、動かなくなる前に、ちゃんと動きを鈍らせて教えてくれた自分の体に、ありがとう、と伝えたい。