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わたしの父についての話

わたしは父が苦手だ。

そのことに気がついたのは高校生くらいの時。いわゆる「思春期」「反抗期」がわたしにも訪れたんだと思っていたし、実際その側面もあるんだと思う。同じ空間にいるのが嫌だ。一緒に食事をするのが嫌だ。話を聞くのが嫌だ。声を聞くのが嫌だ。得体の知れない不快感が、一体どこから来るものなのかわからなかった。けれど今なら分かる。あれは十数年間暮らす間に積もり積もった、どうしようもないものだ。父が父で在り、わたしがわたしで在る限り、どう足掻いても仕方のない、相性の問題だ。父が悪いわけでも、わたしが悪いわけでもない。どうしようもない。そういうことが人と人の間にはあるのだということを、大学生になって知って、それでようやく「わたしは父が苦手だ」という事実を受け入れることができた。

今日、父と母と妹がわたしの家にやってきた。(念のため付け添えておくけれど、コロナ対策はしっかりしてきた、らしい。)鬱で荒れ果てたわたしの部屋の掃除を父と母が手伝ってくれた後、わたしは睡魔に襲われ眠っていた。それから18時ごろに起こされ、近くに食事に行くことになった。父と母は本題を切り出すかのように、わたしの休職のことについて尋ねてきた。「休むのはいつまでなのか」「次の仕事はどうするのか」今考えるべきじゃないことだと、何度もお医者さんに言われていることだ。わたしもなんだかんだ考えてしまうとはいえ、深いところまでは考えたくなかったし、今の状態のまま両親の前で言語化するのは嫌だと思った。道筋が見えてから、彼らには伝えたいと思っていた。わたしが話を濁すと、その意図は通じたらしい。気まずい会食であった。

こういう気まずい空気が苦手な母が、とにかく場を持ち上げようとする。鬼滅とか見た? いや、全然見てない。ここまで流行ってると見ておいたほうがいいのかな〜って思うけどさ、今更って感じもするよね〜。そうこうしている間に父と母の酒は進み、二杯目を注文していた。妹は特に何も発言のないまま、スマホでTwitterを眺めている。

耐えかねた父が「ポテトフライとドリンクが遅い」と店員の女性に伝えた。ポテトフライはともかく、確かにドリンクの提供にしては遅かったが、店員の女性は父の粗暴な言い方に萎縮して、申し訳ありませんと頭を下げた。そういうのやめて、と暗に言ったが、父には通じていないようだった。ポテトフライとドリンクはその後すぐに出てきた。店員の女性も、キッチンの人も急いで作ってくれたに違いない。あのテーブルの客には早く対応しないといけないと気を遣ってくれたのか、その後の料理の提供も心持ち早かったように思う。最初に出てきたのは母親の頼んだ料理、次に父親、妹とわたしが頼んだ同じ料理が一膳だったので妹に譲り、わたしだけまだ頼んだ料理が来ていない状態だった。

「注文の数間違えてるんじゃないか」と父が苛立ったように呟いた。相手のミスを疑うような考え方をするのが嫌で、もうちょっと待とう、とわたしがいなした。母も同じように誤魔化そうと、わたしも小さい頃よく自分の料理だけ来なかったのよと浮き足立ったようなトークを繰り広げ、相変わらず妹は黙っている。店員の女性が「ご注文は以上でよろしかったでしょうか」と伝票を置きに来て、父がその言葉に被せるように「いやこれと同じのを頼んでるんだけど」とぶっきらぼうに言い捨てた。女性は大変申し訳ございませんと慌ててキッチンへ戻っていくその途中、別の客が会計を待っている。感情が、彼女のほうに入ってしまう。ミスをしてしまったその直後に別のタスクが増えて、こんがらがってパニックになって泣きたくなるあの、アルバイトをしていた時の私が蘇ってしまう。母がまた軽妙な誤魔化しを続ける中、心臓が痛くなっていた。すっかり感覚を覚えた、ストレスと緊張特有のあの痛み。

わたしの料理はその後すぐに出てきた。女性が謝りながら手渡してくれるのを、わたしは両手で受け取って「全然大丈夫ですよ!」と一声かけることができた。それは彼女への罪悪感と、そしてアルバイトをしていた頃のわたしを救ってあげたいが故の言葉だった。女性は少し安心したかのように戻っていって、それでようやく父の怒りも落ち着いた。料理は美味しかった。食レポして! とわたしと妹に無茶振りしてくる母に応えつつ、食事は無事に終わった。

会計をしながら父は、帰りに何か買っていくか、今日お前のためにコーヒーの粉を買った、明日の朝そのコーヒーを淹れる用のフィルターがいるだろう、寄っていくか、と畳みかけてきた。もう嫌になって、全部要らない、インスタントでどうにかする、と振り切った。父の心配も世話焼きも分かってはいる。でもわたしと父という人間同士にとってこれは近すぎる距離で、わたしはどうしても不快だった。立場の弱い人間に強く出るところも、要らないものを強要してくるところも。

捉え方によっては、どちらもわたしへの愛情なんだろう。料理が一人だけ出てこないわたしを不憫に思ったから店員に伝えてくれたわけだし、わたしの家にないものを与えようとしてくれたわけだし。

でも、その愛情は、わたしが欲しいものじゃない。

我儘なんだろう。うちの両親はいわゆる毒親的な、ひどい言動をわたしに向けてくるわけじゃないし、きちんと愛してくれているし、いい親だ。わたしに勿体無いくらいにいい親だ。生まれちゃったことはともかく、ここまで健康に育ててくれたことには感謝もしている。

でも、その愛情は、わたしが欲しいものじゃない。

だからわたしは親の愛情を全ては受け取らない。少なくとも実家に戻って、再度同じ屋根の下で共同生活をする人生は、もう選ばないだろう。

誰が悪いわけでもない。ただ、人と人の相性。巡り合わせの、問題なのだ。


父と母は今晩近くのホテルに泊まり、妹だけがわたしの部屋に泊まっている。両親は明日もわたしに会いに来るそうだ。


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